体の気持ち

家の前の遊歩道を通って、歩いて2分、朝からピラティスに行く。
停電でスタジオが2日休みだったから2日ぶり。

遊歩道は、倒れた桜の木が道を塞いでいたり、折れた木や枝があちこちにあったり。
その中で、平然と咲いている花もあったり。
同じ経験をした場所には、同じ傷跡はなく、それぞれの今日が存在した。

何を見るかだな、、、と2分の間にぼんやり考えて、ピラティス。
今日は休みなので、いったん帰って、午後から今度はヨガ。
お昼寝ヨガというほとんどねっ転がっているヨガ。


その最中、ああ、、、、と思わぬ気づきが登場。
ここにも過去に何度も書いた私が20年前にした経験について。

そのきっかけのひとつは、体を壊したことだった。
原因は、いくつかの要素が複合されていたが、症状は首や肩のヘルニアと似ていて、私の左肩は痺れて、物が持てなくなり、椅子にも座れなくなった。

私は、そこから起きたいろいろで、心を病んだので、そちらに目がいっていたが、あの時、本当に一番痛かったのは、肩だったのだと気がついた。

そして、不思議な感覚だったけれど、肩はまだそのことを覚えている、と思った。
私の心は癒されたくましくなった。
けれど、体の記憶がまだそこにある、と感じたのだった。

そして、またこれも不思議なことだったけれど、「私の体は、私のことを愛してる」と、ふっと浮かんだ。
まるで、細胞に気持ちがあって、細胞の1つ1つが自分をとても大事に感じているように思った。

細胞も私なのに、私、とはなんのことだろう?と思ったけれど、ともかくそう感じた。

そして、ぼ〜っとした後、帰り道。
なんだか、いろんなことが腑に落ちた。


ピラティスからのヨガ。
いいかもしれない。