DAY115:エビデンス(証拠)をもとに推論したり推測したりする。そして、その推論や推測を事実だと決めつけず、あくまでも「これは自分の推論だ」とはっきり認識しておくこと。
歴史探訪をしばらく続けた結果、私は最近、話を「シンボリック・モデリング」に集約しようとし始めています。
つまり、私のいうクリーンランゲージは、シンボリック・モデリングのファシリテーターが理解しておいた方がファシリテーションがやりやすいクリーンランゲージの概念。
シンボリック・モデリングを使用するときに、理解しておいた方が、ファシリテーターがファシリテーションがやりやすい、シンボリック・モデリング「における」クリーン。
ファシリテーターが誰かをサポートするのに(このサポートする誰かは、自分自身のこともあるでしょうが)、シンボリック・モデリングがより効果的に作用するためのものとして。
理由は、私が書こうとしているものが、英語を母国語としない人を主に対象としているからです。
例えば、「クリーン」。
これ、元の単語の「Clean」を、英語ネイティブは、自分の体験としていくつも持っていると思うんです。簡単な単語ですから、その人が小さい頃に登場していると思います。
デイビッド・グローブが、彼の言う「Clean」を語ったものは読んだことがありますが、それはその時彼がそういったと言うことであって、彼は、「Clean」の定義を自分でまとめてはいませんから、もしかしたら、違うところでは、少し違うことを話したことだってあったかもしれない。
そして、私が読んだデイビッド・グローブが語った「Clean」については、 彼のメタファーでした。
メタファーは、人が世界を理解する道具ではありますが、同時に、メタファーは思考を制限することもできます。
実際、「クリーン」と言う日本語が、ファシリテーターの思考を制限していることがあるのを、私はこの数年、見てきました。
私の理解では、クリーンランゲージに関わる技法は、ルールがゆるいです。
どの技法も、ファシリテーターの直観/直感に重きをおいています。
ただし、「直感/直観は知識から生まれる」という立ち位置での直感/直観なので、学習することはたくさんあります。
覚えれば覚えるほどに、セッションをするときの自由度が増していくからです。
けれど、私が見たものは、普段、非常に、感覚的直観的にコミュニケーションをする能力が高い人たちが、「セッションができない」と口にするところでした。
私の目からは、「この人、上手になりそうなんだけどな」と思う人であればあるほど、苦戦している様子が目に入りました。これは、私の推測になりますが、私の目には、その人がファシリテーションするとき、非常に窮屈そうに見えたのです。
そして、実際のところは、「セッションはできている」のに、「セッションできない」と言うのです。
うん、その人たちのセッションは、うまくはありませんでした。
でも、できている。
できるできない、と、上手い下手は別の話です。
そして、上手い下手は技術の話にはついて回り、技術は使わないとうまくはなりません。
ただ、それだけの話のことで、それは、できるできないとは別の話なのです。
正直、何がその人に制限をかけているのかわかりませんでした。
私自身には、その制限は生まれなかったからです。
ああではないか、こうではないか、と色々仮説を立て、2人のファシリテーターを相手に私は実験していました。
でも、今、さっき、わかった!と思い、そして、同時に浮かんだ仮説は「クリーン」を説明したメタファーが、ファシリテーターの思考を制限している可能性はないだろうか?ということでした。
私の調査では、「クリーン」には実にさまざまな説明のバリエーションがありまして、どの「クリーン」を聞いたかで、おそらくは、「クリーン」のイメージはかなり変わるのではないかと思います。
もしも、その人が、無自覚だけれども、共感能力が高く、なおかつ、知識としてクリーンランゲージやシンボリック・モデリングについて知らない状態で、「クリーン」の定義をメタファーで語るものを耳にしたら、起きることは・・・と考えた時、きっとそうだ!と私の頭には浮かんだのでした。
先に「クリーン」のメタファーが、ファシリテーターの世界に介入してしまう可能性があると。
そして、デイビッド・グローブは、それは望まないだろう、と、何となく思いました。
そうして、私がこの数年、英語、日本語どちらもで耳にしたさまざまな発言が、ブワッと頭の中に蘇りました。
そして、「シンボリック・モデリングを使う時」に必要なクリーン(なスタンス)は、
エビデンス(証拠)をもとに推論したり推測したりする。そして、その推論や推測を事実だと決めつけず、あくまでも「これは自分の推論だ」とはっきり認識しておくこと。
こんな感じの抽象概念での説明を、最初に聞いたら、起きることは何だろう?と思ったのでした。
そして、私は、話を、シンボリック・モデリングの中で、ファシリテーターのファシリテーションをサポートするため、クライアントをサポートするため、「クリーンランゲージ」と「クリーン」が、そこでどんな働きをしているのか、そこにはどんな効果があるのか、そのためには、何が必要なのか、そういうことに目線を合わせようと決めたのでした。
それは、シンボリック・モデリングを生み出した人たちが、望んでいることでもあるだろうと思ったからです。
彼らの著書の中にも書いてありますし、彼らは、この単語をよく使います。
「USE」
使う。
そうだ、そうだ!と、頭の中で、「そうだ!」がダンスを踊り始めました。
頭の中で、何かが楽しそうに笑っているのを感じました。
全くまとまりはないままに、これが、たった今、私に起きたこと。
115日目のことでした。