7月のはじまり

私は、将来をまじめに考えず、5分の立ち話で、大学卒業後の進路、つまり就職先を決めたあのアホは、ただのアホではなかったことを、ついに認めざるを得なくなった。


私は、自分が、手順、だけは覚えていたことに気づいたからだ。


それは、あのアホが、卒業レポートのテーマに選んだ「日本語と英語における沈黙の意味の違い」のおかげだ。


私がした作業は、たくさんの映画をみて、台本を集めて、セリフを抜き出し、そこにある沈黙の意味を、日本語と英語で比較することだった。

沈黙のその後に起きることから、意味は推測した。


私は、沈黙には、注目に値するたくさんの意味があるということをその時学んだ。

そして、違いは、言語差、文化差にもあるが、話の文脈にも関係すると結論づけた。


いつも私に落第ギリギリの成績しか与えなかった講師は、そのレポートにだけ、満点に近い点数をつけた。


私はその理由をわざわざ尋ねに行った。

摩訶不思議だったからだ。


よく調べてある、というのがその理由だった。



私は、あのアホがした作業手順を、今、私はなぞっていることに気づいた。


未来の私のために、あの未来をまじめに考えない女子大生は、未来に必要になるやり方だけを、体で覚えていてくれた。


あの時、私の頭にあったのは、「これを落としたら卒業旅行に行けない。私は卒業旅行に行きたい!」というにんじんのことだけだった。



シンボリック・モデリングやクリーンランゲージでは、理由「なぜ?」を問いかけない。


私は、理由、というのは、本当に、ほとんどの場合、結果には関係ないなと、今、よくわかった。


理由はなんでもいいから、やっていたことが、今、私のリソースだからだ。



私が彼女に言いたいことはまだ山のようにあるが、仕方ないので、もう許してやろう。


あなたが真面目に勉強していたら、できなかったかもしれない経験、いなかったかもしれない友達、そういうものがたくさんある。


あなたは、ただのアホではなかった、願いのためには忠実な努力ができる愛すべきアホだったに、彼女は昇格。


シンボリック・モデリングが生まれた頃に、私は、今の私がしているのと同じ作業を必死にしていた。

そして、その時、私に足りなかったものは、議論できる仲間と、優秀な指導者。


今は、どちらもいる。


それに気づいた。


でも、卒業旅行は、めっちゃ楽しかった。

だからよかった。


それに気づいた。


それが7月のはじまり。