DAY34: 日本語話者のファシリテーターのためのエクササイズ
同じように考えなくていい、同じ効果があることができればいい。
これはここ最近、私の中をくるくる回り続けているフレーズです。
日本語と英語の大きな違いのひとつは、誰が中心にくるかというのもあります。
日本語は、聞き手中心。
英語は、話し手中心。
そもそも、相手の理解を中心に、日本語話者は話すよう、日本語はできている。
という特徴を踏まえると...。
日本語話者のファシリテーターは、そもそも、「相手に自分の質問がどう聞こえるだろう?」、「相手は、自分の質問を理解できるだろうか?」と気にする習慣がある可能性が高いなと、私は思いました。
私の理解では、クリーンランゲージには、「自分は相手の理解を知らないよ」という前提があります。
というようなことを踏まえて...。
そうか!
同じことをするために、違うやり方で練習をする必要がある!と、私は気づきました。
そして、私が思いついた、クリーンランゲージを上手に使うためのエクササイズは以下のようなものです。
このエクササイズ、私は、クリーンランゲージをセッションで使い始める前に、自分のセッションでよく使っていました。
自分と他人の間に線引きがうまくできない人や、考えが混乱している人には、非常に効果があったからです。
それはそのまま、クリーンランゲージのファシリテーターの立ち位置をファシリテーターが練習するのに転用できると、気づいたのです。
......
エクササイズは簡単です。
【話をする側】
主語と目的語をはっきりさせて話す。
【話を聞く側】
*相手が主語を言わなかったら、「誰が?」「何が?」と質問する。
*相手が目的語を言わなかったら、「何に?」「何を?」「誰に?」「誰を?」と質問する。
そして、話をする側は、自分が話したことの中に、自分が主語だったものがどれくらい含まれていたかを、後から振り返る。
.....
これだけです。
クリーンでいるためには、相手と自分の区別をしっかりつける必要がありますが、日常使用している言語や社会環境の影響で、日本語話者のファシリテーターは、それをしたことがない可能性があり、それを体験として学ぶ必要があるかもしれないと、私は気づいたのでした。
そして、同時に、セッションをするときに、クライアントが表現していない何かを、自分で補わない練習をするために。
相手が表現していない何かを自分で補うのは、日常では、コミュニケーション能力が高い人ほど、普通にやります。
でも、「クリーンランゲージを使う」という枠の中で考えるときは、それは、クリーンではありません。
「一を聞いて十を知る」は、クリーンランゲージではありません。
クリーンランゲージは、「一を聞いたら、一しか知らない」
一を聞いて十を知る、それは、普通の話の聞き方。
クリーンランゲージ、それは、相手が、自分で自分のことを考え、理解し、自らの力でその人の内的世界を変えていくのを手伝う話の聞き方。
だから、相手の話を先読みはしない。
自分と相手をしっかり分ける。
分けた上で、交流する。
どこまで自分が、相手についていけるかが勝負。
クリーンランゲージは、ファシリテーターがクライアントを導く技法ではないので、ファシリテーターがクライアントを追いかけられるかが勝負。
まあ、これは、全てのコミュニケーション技法がそうだと思いますが、クリーンランゲージは、ファシリテーターは「考える」必要があるので、意識上でしっかり、自分と他人は別の存在なのだと理解しておくために、体験をした方がいいなと思いました。
(共感を使う技法よりはクリーンは簡単だと、私自身は感じています。また、ファシリテーターの精神的負荷が低いので、数をこなす人は楽かもしれません。
「あたかも」自分のことであるように、は、より高度で難しいと、経験的には思っています。しかし、私は仕事では、そちらを使う場合もあります。もちろん、クリーンランゲージが適用できないケースもあるので、私個人は、ケースにより使い分けをしています。)
そして話は、そこからだ、と、私は気づいたのです。
つまり、ファシリテーター自身の「いつも」と「普通」を、ファシリテーターが把握するそこから、と。
やってみよう。
私がシンボリック・モデリングをシェアする相手は、日本語話者なのだから、日本語話者の特徴をひたすら追いかけてみよう。
今度はクライアントではなく、ファシリテーターを。
技法そのものは、英語と日本語なら、クライアントの言語関係なく、構造自体はそのまま使えるので。言葉は工夫がいりますが、それはもう大体実験は終わったので、今度はファシリテーター。
とりあえず、このエクササイズがいかにファシリテーターに作用するか、来週の勉強会でやってみよう。