DAY29: ファシリテーターの自己理解と自己肯定

シンボリック・モデリングのファシリテーションがうまくなるための方法のひとつは、ファシリテーターの自己理解と自己肯定が促進されることだと、私は考えています。


そして、この自己理解と、自己肯定は、普通の意味とは少し違うかもしれません。


人によっては、そういう風には、自分を理解しようとしたことは、一度もないかもしれません。

自分のそういう風な部分を観察したことすらないかもしれません。


人によっては、そこに対する自己肯定はしたことがないかもしれません。



クリーンランゲージやシンボリック・モデリングで焦点を当てる世界は、その人の内的世界です。

シンボリック・モデリングは、そこに加えて、その内的世界が、その人の現実に与えている影響や、現実との関係も探求します。


現実から目を離さない、この部分は、デイビッド・グローブがしていたことは、やや異なります。

その他のメタファーを使う技法とも、やや異なるかもしれません。


「現実から目をそらすことは、クライアントのためにならない」というシンボリック・モデリングの考案者の考えが反映されています。


そして、メタファーを現実を理解する方法としてだけでなく、「メタファーはその人の生きる世界、つまり、現実を作る、または生み出す」と捉えているからです。


現実の何かに対処する方法としてだけでなく、今まだここにない何かを生み出す方法としても捉えています。


勘のいい人はお気づきになったかもしれません。

今、まだ、ここにない何か。

「望むアウトカム」です。


私の経験的には、クライアントが口にする「望むアウトカム」、そのほとんどは、現実にある何かについてです。


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現実と自分の内面世界のメタファーが、どのように相互作用しているかという観点では、自分を理解しようとしたことがある経験を持つ人は、あまりいません。


トレーニングの過程で、ファシリテーターがどれだけたくさんのその体験ができるかが、私の勝負、だと、私は考えています。


ファシリテーターが体全体で、それを、自分を理解するのをファシリテーションできるか。



学ぶ人が、自分の世界を体験するのを。


自分の理解の構造が他人とは違うということを、実感として理解するのを。


ファシリテーター自身が、それを肯定していくのを。


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これは、ファシリテーション中、クリーンでいるために、非常に重要な要素になってくると思います。


特に、シンボリック・モデリングで焦点を向けるのは、「望み」です。


不幸になる方法、傷ついた人に起きることは、ある程度似たやり方で対処できるかもしれません。

また、長い時間、それに取り組み続けた人たちがわんさかいます。


精神科や心理学、心理療法の分野で。



けれど、「望みの構造」については、これまで数年、シンボリック・モデリングを使ってセッションしてきた経験からいうと、びっくりするような構造や方法が、そこに存在しています。


誰の望みも、望みを叶える方法も、ものすごく個性的で、独特です。


なおかつ、セッション中に、その方法が生み出されることが多々あるのです。


なおかつ、ほとんどの望みには、現実がからみます。

つまり、望みを達成したいその場所は、体の内にあるだけではなく、体の外にあることが多々あるということです。



もしも、ファシリテーターが、自分の望みの構造や、望みを叶える方法に縛られているとき、「その方法を他者に押し付けようとしたとき」、セッションは止まります。


これはうまくできているなと思いますが、なぜだか、クリーンランゲージのセッションは、人が押し付けようとすると、深いところには言葉が届かないようになっている感じがします。


私には、デイビッド・グローブが、まるで、何かを質問に仕込んだように感じられることがあります。



メタファーの状態で、自分の思考構造を理解しておくことは、ファシリテーターには非常に重要ではないかと思います。



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私が、練習中に、「間違えた」とか「違う」とかいう言葉を互いに発しないように注意してというのは、この自己理解と、自己肯定にも関係します。


セッションの練習中、練習している2人、もしオブザーバーがいるならその人もいれて3人、その人たちの目の前に広がっているのは、クライアントと、ファシリテーター、両者の世界の理解です。


ファシリテーションが上手になるために、一番育てたいものを否定することは、練習にプラスになりません。



自分についても、他人についても、クリーン・フィードバックを使いましょう。


よかったことから話を始める。

何かを相手にアドバイスしたり、注意したいときは、先に、褒めたおしてから言う。


(私は、練習で、マリアンからセッションをすごく褒められると、ああ、私、なんか見落としたなと、思います。というように、相手が心の準備をする時間も、クリーンフィードバックは生み出しています。笑)


間違えても、否定形から話を始めてはいけません。

それは、両者の自己理解と自己肯定の促進を妨げます。



初心者の人、特に、クリーンランゲージのセッションを受けたことがない初心者の人は、言葉の扱いが軽いことがあります。

しかし、その人がどう理解していようと、そのとき、その言葉は、思ってもみない深いところに影響します。


しかも、互いに、です。

2人とも、または3人ともに影響が出ます。



もしも、学び始めた初期にそれが起きると、その後の、自己理解と自己肯定のプロセスは...何が起きるでしょう?



というわけで、その場にいる全員が、安心して、自己理解と自己肯定が促進できるように。



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以降は、セルフ・モデリングのための、私自身への質問です。



1シンタックスめ


そして、これらは全てこのよう、


2シンタックスめ


そして、私は、学ぶ人が上手になるために

学ぶ人自身の自己理解と自己肯定を促進したい(アウトカム)そのとき、



以下、質問。

(クリーンな質問以外も混じります。太字はクリーンな質問)


私は、何をする必要があるだろう?


私に、できることは、何だろう?



「いけません」って言いたくないんだよな。


でも、この説明には、私は、否定形を使うしかないのかな?どうなんだろう?



そして、「私は」と、主語をはっきりさせて話すこと以外に、私にできることは、他に何かあるかな?



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これは、日本で教える場合は、特に必要な感じがします。


日本社会の特徴のひとつは、学ぶ主目的が、自分の問題解決である人が多いことです。


コミュニケーション技法を通じて、他者をサポートするために、それを学ぶのではなく、自分自身のコミュニケーションやその他の問題解決のために、それを学ぶ人数の比率は、これまた、クリーンランゲージがこれまで渡り歩いてきた国とは異なります。



これもまた、私が持っている、他の国のトレーナーとは違う条件の一つ、です。