DAY25: デイビッドのことは知らない。
最近、私は、これまで自分が意味がないと考えていたもので、意味があるものがいくつかあることに気づきました。
1.
私は、クリーンランゲージを生み出したデイビッド・グローブに会ったことがありません。
2.
当初、冗談抜きで、私は、英語でセッションするときに、クライアントが何を言っているか8割以上、わかりませんでした。
3.
2の事情で、私がしていたセッションは、時に、クリーンな質問以外は、「それ(that)」という単語とジェスチャーしか使わないものがたまにありました。
4.
最初、ペニーの話は6割、ジェームズの話は8割、彼らが書いたものは辞書を使っても5割、意味がわかりませんでした。
ワークショップ前日に、泣きそうになった私の話は、2016年に。
私は、自分がセッションを受けながら何が起きるかを確認するか、彼らの動きや間合いをひたすら観察しました。
以上。
特に1には、私以上にそれが意味があった人たちがいたのだと、最近、私は気づきました。
私は、デイビッド・グローブから直接、影響を受けていません。
私には、彼にはなんら特別な感情がありません。
数々のエピソードを聞くに、天才だけど、変な面白い落ち着きのないおじさん、というイメージがあります。
書くのが苦手だったという話から、ソクラテスっぽいと勝手に思っています。
ただし、ソクラテスとの違いは、まるで親戚のおじさんくらいに、彼には親しみを感じていることです。
そういう意味では影響は受けています。
しかし、個人的な感情はありません。
デイビッドの死は、私に悲しみをもたらしません。
私が強く影響を受けたのは、クリーンランゲージという技法そのものです。
この語る人によって、さまざまな面、さまざまな理解がある、万華鏡のような技法。
共通事項は、クリーンという概念。
私が、クリーンランゲージに影響されていて、デイビッドには影響されていないということに、意味があったのです。
私は、やっと、気づきました。
そうでなければ、技法のエビデンスが確認できなかったのです。
それが、デイビッド・グローブという個人の技なのか、それとも、技法が持つ力なのか。
私が、デイビッドを知らないことに、意味があったのです。
2.3.
私は、超絶クリーンな状態を、体で学ぶことができました。
さっぱりわからない、それが、本当です。
すでに一部これを応用したワークを試し始めていますが、「わからない」が、クリーンな状態なのだと、そして、こちらはわからなくても、セルフ・モデリングは手伝えるのだと、体験できたことのギフトの大きさに気づきました。
日本語がわかる人たちに、日本語を話すクライアント相手にこれを体験させるワークを作ればいいのだと、気づきました。
言葉を記憶することが、ファシリテーターの主な仕事ではないと、最初にしっかり体で覚えられるように。
4.
観察力を強化するワークがいるのだと気づきました。
目を鍛えるワーク。
ノートをとることが、ファシリテーターの仕事ではないのだと、最初に体で覚えられるように。ノートは記憶の補助です。
3とも連動しますが、初心者さんは、セッション中、下を向いている時間が長いです。
ほとんど耳しか使っていないように見える人もいます。
使う必要があるのは、目、と、耳です。
目から得る情報はむしろ、耳より深い情報のことが多いです。
クライアントが、まだ、言語化していない情報がそこにあるからです。
クライアントをびっくりさせることも、ファシリテーターがやっていることの一つです。
例えば、まさか、手がこんなにおしゃべりだとは、人は普通、思いませんから。
びっくりすると、好奇心が刺激されます。
つまり、クリーンランゲージは、これからの技法なのだと、私は気づいたのです。