DAY31: デイビッドを知らないルールは守りたい国の人

昨日、InsideCleanというシンボリック・モデリングのオンラインコースを見直していました。


そうすると、今朝、「デイビッド・グローブを知らない子供たち」というフレーズが浮かびました。


デイビッドを知っている人と、知らない人の違いは、誰かに教えるために一般化される前のクリーンランゲージを知らないことです。


そのために、刻々と、進化と変化を続けるクリーンランゲージを自分の目で見たことがないことです。


これに関することは、日本語話者だけではなく、英語話者の学習者からも、そこに関連するのだろう同じ質問が登場しているのを何回か見たことがあります。


何がクリーンで、何がクリーンではないのかを、しっかり把握しておく必要があるなあと思いました。

とは言いましても、このクリーンの尺度も、実際、人によって違いがあります。


理解が全く同じ、は、それこそクリーンの定義上、ありえません。


ああ、これも言わなくちゃいけない。



そのあと、私の脳裏に浮かんだ質問がありました。

一般的に、基礎では登場せず、基礎が終わった後に登場するクリーンな質問についてです。


それは、「文脈的にクリーンな質問」と呼ばれるものです。その文脈の中でだけ、クリーンと判断される質問です。


もしも、その人が、現実の中で、クリーンランゲージを使っていくつもりなのであれば、この質問の存在は最初から知っておいた方がいいかもしれないと思いました。


質問そのものではなく、「文脈的にクリーンな質問」が存在するということ。



私のトレーナーと私の違いは、そのまま、デイビッド・グローブを知っている人と知らない人の違いです。


彼らは、「クリーンランゲージには、型はあってないようなものだ」ということを体験として知っています。


なぜならば、ファシリテーターが持つ脳みそが、全員違うからです。



そして、クリーンランゲージは、ボトム・アップの技法だから。


......


今、InsideCleanのシーズン5で、ペニー、ジェームズとマリアンが、別のプロセスモデルを、同時に見せています。


その中で、マリアンが参加者からの質問に答えているところで、ああ、これは最初に言おうとメモした箇所がありました。


その内容をかいつまんで書くと、「同じクライアントに、違うファシリテーターがセッションをすれば、また、セッションは違うように進む。なぜなら、ファシリテーターは全員、違う思考構造を持っているから。けれど、クライアントの構造は変わらない」というようなことでした。



メモしたと同時に、あ、なるほど、ということは、オブザーバーは、3つの構造をモデリングすることになるなと気づきました。


トレーナーがモデリングするのは、生徒の人数分。プラス、自分の思考構造。

それが、そこにある思考構造の数。


楽しそう!と、ちょっとワクワクしました。

そして同時に、最初に自分が開く基礎コースのワークショップの人数が決まりました。


最大6人。


それ以上は、私がひとりで同時にモデリングするのは難しいだろうと思いました。


なぜに、シンボリック・モデリングのトレーニングがいつも少数なのかもわかったような気がしました。


......


そして、同時に、私が少しばかりどうしようかなあと悩んでいたことが解決したことに気づきました。


これは個人的な要素で、私は、何回も同じことを繰り返すのは苦手です。

苦手というか、変化がない状態に退屈します。


私がトレーナーになるのを、過去、少し怯んでいた理由の一つは、基礎を教えるのは退屈なのではないか?と感じていたからです。


しかも、最初に覚えることは、ルール的な要素が多い。


そうして、一度はじめたら、簡単には放り出せない。

なぜなら、私が教えるのは、日本語話者だから。

日本にはまだその先の土壌はない。


英語話者なら、そのあとは、いろんな先生がいますから、自分のニーズにあわせて、いろんな先生のところに行くことができます。


資料も英語ならたくさんあります。

いくらでも、自分のニーズにあわせて、学習を続けられるように、サポート体制はすでにあります。



私が足を踏み出そうとしている世界は、それとは少し違います。


日本語の世界。

作る必要が登場するものがたくさんあります。作るのはどうということもありません。


けれど、しばらくは、同じことを改良しながら繰り返していく必要があるだろうと考えた時に、飽きるのではないか?と考えたのです。


あんまり無責任なことはしたくないので(笑)



けれど、私は教える人全員をモデリングするのだと気づいたとき、私の心から、それらは消えていきました。


同じワークショップは一度としてないということに、私が気づいたからです。



個々のファシリテーターのリソース、思考構造、アウトカム、できることできないこと、それから、グループ全体、そういったものをモデリングするのだと考えたとき、心はトキメキました。


そうして、そこで、シェアする。

モデリングしながら、シェアする。


私の仕事は、シェアと、モデリング。


楽しそうじゃない?と、私は思いました。



そこにいるのは、私を含めて、全員、デイビッドを知らない子供たち。


もしかしたら、クリーンランゲージは、また新しい進化の時代を迎えるのかもしれません!



ならば、やはり、必ず、最初に言おう。


私は、シェアするだけ、だと。


「私はこう考える」

「私ならこうする」


「私は」という言葉は、必須だなあ、と。


クリーンランゲージには、さまざまな用途、モデル、質問の使い方があり、使用者によって、理解は変わる。


「私と同じように、しなくていい。」


「私と同じ理解をしなくていい。」


「私が言うことを、信じても、信じなくてもいい。」



それから、ルールを厳格に守ることが好きな日本語話者は多いから、これもやろう。


日本という国は、エスカレーターの右に立とうが、左に立とうが、違う階に辿りつけばそれでいいどうでもいいことを、真剣に語れるお国柄です。

(だから、秩序が保たれて、平和な面もある。)



「今、私がやったのは、ルール違反でした。だから、何?」


そして、ケタケタ笑おう。



私が、クリーンランゲージを通じて伝えたいものの一つは、「自由」なのかもしれません。