DAY27: 自分の考え方を押し付けないで、人にやり方を教えることは可能か不可能か?

 

自分の考え方を押し付けないで、人にやり方を教えることは可能か不可能か?



そこに考えが至ったとき、「ああ、そういうことか」と、納得したことがありました。


シンボリック・モデリングのなんらかワークショップやトレーニングに出ると、先生たちがやたらと言う言葉が二種類あります。


今日はそのひとつを。



今、語ることは、「こうしなさい」という指示ではない。


自分たちは、自分がやっていることをシェアしているだけ。


さまざまな種類の考え方、やり方、モデルがある。



こういう感じのことです。


これは徹底しています。

トレーナーは、ここがものすごく徹底しています。


多分、デイビッドがそうだったのだと思います。

一切の権威や権利を手放し、クリーンランゲージをオープンソースにした彼。


これは、だれかが書き留めた言葉も残っているので、別の場所に翻訳を出します。



私のトレーナーたちも、権威という言葉をすごく嫌います。

自分たちが権威と扱われることにも、はっきり言って顔をしかめます。

彼らが私に力を貸してくれるのも、私が権威と彼らを見ていないことと、私自身が、あまりにもそこから遠いからだと思います。



私の理解では権威がいないコミュニティ、それがクリーンコミュニティで、まずは、習う人にはこれを理解した方が、ファシリテーションはやりやすいと感じています。

あまりにも、日本的ではない、そのこと。


これを理解しておかないと、思考から自由が消えます。

すると、ファシリテーションがやりにくくなります。


習うことと違うことを、クライアントが目の前で繰り広げることはざらにあり、そのとき、自分の直感で動くしかないことは多々あるからです。


特に最初は知っているフォーマットは限られています。

けれど、クライアントは、そのフォーマット通りに思考してくれるとは限りません。


先生から習ったことが役に立たない、そのとき、さて、あなたはどうしますか?

目の前には、サポートを必要としている人がいる。


使っていいものは、原則、クリーンな質問。(と、クライアントが使った言葉。)


さあ、どうする?



さて。


過去、PROモデルを作った人に「アウトカムとリソースには違いがない、私は自分がファシリテーションするときは2つを分けない」と言った私に、返ってきた返事は、「そう、君は分けないんだね」でした。


(教えるときは、分けます)


私が、その話をファシリテーターにすると、反発があることがあります。

でも、トレーナーに話をすると、「よく気づきました。私も同じように考えたことがあるわ」とか、そんな感じの反応があります。


つまり、ファシリテーターとトレーナーの一番の違いは、モデルは「進化する」、ひとりひとりが「違う理解を持つことを許容できる(それが自分とは異なっても)」というそこだなと、私は理解しています。


私が、本日、現在、まだ、トレーナーを名乗らないのは、私は、今、これを練習中だからです。

初心者向けの話なら、知識は、もう足りていると思います。


けれど、私自身は、知識より、この態度が身についているかどうかを重視しています。

だいたいできますが、もう少し、練習したいかも。ファシリテーターという名前のままで。


肩書きというシンボルがもたらす作用は、割と大きいので。同じことを話しても、与える効果が変わります。



私は、ファシリテーターとしては、クリーンランゲージを使うときには、これはできます。



しかし、自分の教える考え方を、相手がやらなくても、相手がクリーンランゲージやシンボリック・モデリングを使えるように、相手が自分の理解の中で、「同じ効果をもたらす選択ができる」ようにするにはどうすればいいのか?を、本日の私は、まだ見つけていません。


特に、同じ理解で同じ行動をすることに価値を置く人が多い日本社会の中で、これを表現する方法。

自らで自分を縛り制限をつけること、つまり、型にはまった様式美を好む人数の比率は、ここまでクリーンランゲージが渡り歩いてきた国とは異なります。


日本語で教えようとしている私には、他の国のトレーナーとは、やや異なる条件があります。




というようなことが、今朝、浮かんだこと。