庶民
こんにちは。
私が仕事用に使っているwebのプラットフォームは、イスラエルに本社がある会社が運営していました。
私がそのプラットフォームを利用し続けてきた理由は、個人に使いやすいし、コストも抑えられるからです。
少し前、その地の情勢に動きがあった時、私の頭に真っ先に浮かんだのは、「私のホームページは大丈夫なのか?!」でした。
軽薄で自己中な平和主義者、それが私です。
世界平和を望むのも、もしかしたら、私にとっては平和が一番都合がいいからかもしれません。
私は自分を善なる存在とは思いませんので、多分、そうなんでしょう。
私は、自分の暮らしを守りたい。
私は、その会社は、サーバーを世界のあちこちにおいているのは知っていました。
それで、すぐどうこうはないだろうけれど、大丈夫か?!と。
その後のその地の動きに、私の胸は死ぬほど痛みました。命が粗末に扱われていることに。
Chatgptに...
「なんでこんなことが起きるのか?」
「ホロコーストを体験し、誰よりも痛みを知る人々が集まっているはずの国が、なぜこんなことを許容しているのか?」
「なぜ、ノーベル平和賞が欲しいらしいアメリカの大統領が、イスラエルのやることは支持するの?」
...などと質問してみたりしました。
私の胸の痛みは嘘じゃない。
しかし、涼しいクーラーが効いた部屋で、時間節約を考えてChatgptに問いかけたあたり、私にはまだ他人事なのでしょう。
きっと暑いでしょうね、ガザ。
体温調節ができない赤ちゃん、小さな子供や高齢者、辛いなんてもんじゃないですね、きっと。
私は、募金だけすることにしました。
「どうか無事に食べ物が届きますように。」
この気持ちも嘘じゃない。
しかし同時に、いつも、「私のホームページは?!」が頭にありました。
あれを他に移行する作業を考えると、もう、...全てやめたくなります。笑
「早くやめてくれ、迷惑だ!」
なぜ、アメリカは本気で止めないの?
聖書か?...そんなもん、無視したらいいがな。
(私、クリスチャン)
まじ迷惑。
本気でそう思いました。
...私は複雑な存在です。
冷静に検討した結果、この中では「私のホームページ!迷惑だ!」が、もしかしたら、一番強い感情だったかもしれません。
ホームページは、私の暮らしに関わり、私の行動や体験を伴いますので。
これを主観的経験、といいます。
これ、パワーが強いです。
私は、「よし、この完全なる主観的な感情を世界平和のために使おう」と思いました。
「迷惑だから、やめて!安定供給して!」
(理屈としては、私の世界の中心は、私です。認知的にはですけどね。私がいなければ、私の世界は存在しませんので。)
私はその仕事柄、「望みは綺麗事でない方が効果がある」のを知っています。
ふわふわした世界平和を祈るよりは、「迷惑です!安定供給して!」の方が、この場合は効果があるだろうと判断した私は、プラットフォームをイスラエルの会社のものから変更しないことに決めました。
そして、しばらく前に、あるメールを目にした私は、夫に言いました。
「やばいわ!」
毎月、イスラエルの住所で届いていた請求所&領収書が、ニューヨークの住所に変わっていたからです。
どうやら、本社をアメリカに移転した模様。
「私のホームページは助かった!」
けれど...
私は少し暗い気持ちになりました。
そこに、ホームページが助かった喜びを、私は感じることができませんでした。
やばいわ!と思ったのです。
また、そこにはひとり、お知り合いの日本人の方も住んでいます。
その人の家族はイスラエル人です。
きっと胸を痛めているだろうなと思いました。辛いだろうな。
そして、私は、自分の目の前で起きたことから、自分の願い方が間違えていたことに気づきました。
しまった!
レメディとして望みを扱ってしまった!
安定供給の方だけ、叶ってしまった!
レメディとはこの場合、問題を排除する願いのことです。
安定供給は、望むアウトカムといいまして、願いに問題を含みません。
こちらが、叶いやすい望みです。
世界平和の願い方は、トリッキー。
そしてその後、私は、自分の小さな現実を使って、平和活動に取り組むことに決めたのでした。
もう、国家と政治には任せられない。
世界のほぼ全ての国家は、平和の作り方を知らない。
戦争を避けるやり方は、少しは学習したかもしれない。
でも、そのやり方、うまくいってない。
そう思ったのです。
もう、小さな庶民たちがやるしかない!
力を合わせて、小さな庶民からはじまる世界平和だ!
庶民の願いの方が数が多い!
庶民にとっては、どっち側にいようと、全ての戦いが迷惑だ!
そう、思ったのです。
願い方を間違えた、その後で。