小さな赤い炎

こんにちは。


人は、心に火がついて、何かに燃えることがあります。


きっかけは様々です。


今朝、このブログの統計を見た時、私の心に火がつきました。


私はこの数日の日記は、亡くなった祖父、それから認知症の父との対話くらいのつもりで書いていました。

だから、思い切り主張ができました。


私の主張と同じ意見を持つ人が、実は少なくないことを私は知っています。

ただそれが文章で書かれているのを目にすることは少ないです。

自分が誰かわかるように書く人は、ほぼ見たことがありません。


普段は、仕事の関係もあり、私は公には政治の話で何かひとつのところを批判はしません。友達しか読んでいないところでは、少し書くことはあっても、自分の政治的な主張を明らかにするのは私にデメリットしかないからです。


沈黙する多くの人たちは同じじゃないでしょうか。

日本文化の中で暮らす人にとって、自分が誰かわかる状態で政治の話を書くのは、日本社会の特性から大きなリスクが伴うからです。


組織に所属する人はもっとそうでしょう。

黙り続けると思います。

私でもそうします。


今回は、平和がテーマだったのと、心の中で祖父と父が相手だったので、好きに書きました。

誰が読んでも、誰も読まないでも構いませんでした。


ところが、この数日のブログは、思いもよらない世界のあちこちまで飛んでいました。


以下が統計に登場した国の名前です。


アメリカ合衆国、アイルランド、シンガポール、イギリス、スウェーデン、カナダ、インド、メキシコ、ポーランド、スペイン、リトアニア、フランス、香港、オランダ、ロシア。



それを見た時、私の心に浮かんだのは、「お父さん...」でした。


父は、「これからの時代は、女の子だって自分の意見がはっきり言えなくちゃいけない」と、私を育てました。


認知症になった今も、私と議論をしようとします。内容はめちゃくちゃですが。



父は過去に言いました。

「ビジョンが見えているならば、人がどう思うかは気にするな。理解者を探すな、理解者を作れ」





私にはビジョンがあります。


世界平和。

日本は世界を救う可能性があります。

私は、これは自信があります。


理由は、日本の類稀なるその忍耐力です。


広島と長崎の人が、憎まなかったはずはないと思うのです。

けれど、彼らが憎しみについて忍耐し、憎しみについて沈黙してくれたおかげで、今、ここは平和なのだと、私は思っています。


憎しみを連鎖させないその難しさを、現在、私たちは日々、世界に見ています。


また、「やられたらやり返す」が当たり前の世界で、領空や領海を侵犯されても、自衛隊の飛行機や船舶は、ちゃんと法を守って耐えてくれています。


国を護る最前線で。

撃たれる身の危険がある中、命を張って。

大して高額なお給料でもないのに。

(私は、防衛費を増額するなら、まず、彼らのお給料を増やしてくださいと思います。人を大事にしてもらいたいです)


軽々しく、自衛隊を戦わせようとする人達に、私は怒りすら覚えることがあります。

死ぬのが自分じゃなければ、いいですか?と。



ともあれ、ああ、そうかと私は思いました。


命と世界平和の話は、世界のあちこちに飛ぶことができるんだ...と気づきました。


私の話は、普通の人が言葉にしないことを言葉にしただけのものです。

国家天下より、命が大事、暮らしが大事な人の声です。

だから黙ってる。


考えるやり方は違えど、おそらくは、多数派。

国家が自分の人生より重要な人の方が少数派だと思います。


また、自分の人生が国家より重要であることを平和な社会だというのだと思います。



日本がこのままポジティブに耐え忍んだその先に、世界平和は訪れるような気がします。


私たちの国の戦闘力は、おそらく高いです。同調力が強いので、戦場でもきっとそうでしょう。


でも、私たちはもうやらない。

でも、私たちはもうやり返さない。

命の方が大事だから。

戦争はしないと決めたから。


それ、むっちゃかっこいいと、私は思います。ようは今がかっこいいと、私は思っています。


国民の命を護りつづけた日本はかっこいい。


護るために80年、耐えた。

核兵器を持つ国に囲まれているのに核兵器を持たない恐怖にも耐えた。

亡くなった長崎と広島のたくさんの命に守ってもらった。


このスーパーな忍耐力こそ、日本の強さで、平和のコツだという気がしています。


忍耐に対する価値観は様々でしょうが、私は、素晴らしいと思います。


感情やプライドよりも大事なものがあると、私は思うからです。



...ああ、お父さんと話がしたい。

また、そう思いました。


同時に、小さな炎が胸に宿りました。


父もまた、私を護り続けてくれた人です。