さよならや。お元気で。
今から15年前、余命2ヶ月宣告を受けた父は言った。
「よく聞け。知らないやつと麻雀は打つな。これが君への遺言だ。」
もう少し、こましな遺言はないのかと私は笑った。
父は、ないな、と笑った。
私は、「わかった」と言った。
今日。
「君が世界に出ていく時」と、突然、父が言った。
それまで、私と父は、病院のデイルームの窓側で、鉄道部品名クイズをしていた。
私が本の中から部品名を読み「これ知ってる?」と父に問いかけるクイズだ。
15問くらい続けて、父から全て、「知っとる」という答えが返ってきた後、急にシラフに戻った父は言った。
「君が世界に出ていく時。」
そして、父は語りはじめた。
人をフィルターをかけて眺めたらあかんで。
ええか、そこにはな、学問の世界にはな、君よりうんと賢い人たちがいて、おそらく君は大反対にあう。
多分、君が、なんか、それまでと違うことを言い始めるんやろな。
けどな、どっちが正解かなんて、ほんとのところ、誰にもわからへん。
君が、反対する人の声、全てを受けいれたとして、君はむちゃくちゃ傷つくわな。
覚えときや。
そういうときは、すたこらさっさと逃げるんや。
名前が欲しい人らは、怖いからな。
私は言った。
「好きなことだけやっとったらいいね。」
父は言った。
そうや。名前なんか、どうでもいいんや。
覚えときや。
何かをやるとしてな、誰かひとりでできる仕事や学問なんか、あらへんのや。
例えばな、何かの部品を作るとするやろ。
そこに1000人が関わっていたらな、それはやっぱりその1000人の仕事なんや。
取りまとめるために、誰かの名前はいるわな。
けど、その1人の仕事やない。
だからな、誰がしたかなんて、どうでもいいことなんや。
長い時間をかけてな、そうやってな発展してるんや。
お父さんは、そう思う。
私は言った。
「みんなの仕事やね。」
父は言った。
そうや。
よう覚えとき。
それからまだ、父の話は続いた。
少し寒くなってきたので、病室に帰るために車椅子を押していたら、父が言った。
「これで、ゆかりとは、さよならできたな。さよならや、ゆかり。」
私は泣きそうになったが笑った。
病室について、父は悲しそうな顔で、私をまっすぐに見て言った。
「さよならや。お元気で。」
そして、父は、元通りになった。