技術よりも大切なもの(3)

さて、話を父に戻します。

つまり、影響の受け手側、クライアント側に戻します。


A


この前の日曜日まで、父は病院にいました。

毎日、夜中騒ぎ、失禁し、そのため、父は抗精神薬漬けになっていました。

統合失調症や精神病の人に使用される薬が、父には使用されていました。


私は医師に、薬のせいで父がおかしいと訴えました。

特に14:00に飲む薬は、飲んだ瞬間から父の様子が変わる、おかしい、と言いました。

けれど、医師は耳を貸しませんでした。


父は、日に日に様子が荒んでいきました。

人生に絶望しはじめているのが感じられました。

看護士をできるだけ、自分に近づけないようにしているのがわかりました。

明らかに父は、そこを、危険な場所だと判断していました。



B


日曜日、父は、グループホームに引越しました。


その最初の夜、すぐに変化は現れました。

私は14:00の薬を、私の責任で抜きたいと、ホームの人に言いました。


ホームの人は、「それはできない。けれど、お父さんが昼寝をしていたなら、わざわざ起こして飲ませることはしませんかね。昼寝しましょうか」と笑って言いました。


その夜、父は、夜、騒ぎませんでした。

安心して、朝までぐっすり眠りました。


自分ではトイレに行けないと決めつけられて、オムツでぐるぐる巻きにされていた父は、初日の午後には、トイレから歩いて帰ってきました。


一週間経過して、父は、夜間以外はオムツは必要ない状態になりました。

父の表情は和らぎ、ここまで夜間に騒ぐことは一切ありません。


安心で安全な場所に移れたことで、父は穏やかさと尊厳を取り戻しました。

ホームの人と父は、笑って会話しています。



さて、話はここからです。


父の現実に起きたことは、ひとりの人の心の中で起きうります。


現実が、全く同じ状態だったとしても、心の中が、Aのときと、Bのときでは、その人の世界や現実、振る舞いには何か違いは生まれるでしょうか?


父の心と振る舞いが変化するために必要だったものは、クライアントの変化に確実に必要なものです。


クライアントとクライアントの心の関係性、それから、クライアントとクライアントの心がおかれている環境の関係性。


変化には、安心と安全が、そこに必要なのです。


この安心と安全を担保するために、シンボリック・モデリングでは、ファシリテーターにクリーンなスタンスを要求します。


介入しない。

決めつけない。

隠れた意図を持たない。


それから、クライアントの心の中に広がる風景が、クライアントにとってリソースフルであるように、リソースとアウトカムを発展させます。


クライアントの変容のための条件を整えるためです。



安心と安全。


これが、技術よりも大事なものだと私が考えていることです。

また多くのトレーナーが心を砕いていることです。


シンボリック・モデリングのプロセスでは、変化は一瞬で訪れます。

そこには何の力もいりません。

クライアントは勝手に変化します。


時間がかかるのは、変化のための条件を整えていく部分です。

一般的に癒しと呼ばれる作業が必要であれば、この条件を整えるプロセスの中で行われます。

ただし、シンボリック・モデリングでは、癒しとは名付けていませんし、他のプロセスと癒しを分けてラベルを貼ってはいません。

シンボリック・モデリングでは、癒しはレメディと呼びます。

シンボリック・モデリングが目指すのは、その先。

癒しが必要なくなった後の世界です。



変化のプロセスにおいて、誰にも、おそらくは絶対に必要な条件は、その人にとって自分の心の中が安心できる安全な場所であることです。


それをサポートする人たちに必要なものはなんでしょう?


どんな声で、どんな表情で、問いかければサポートになるのでしょう?


私は、春からはじめるトレーニングでは、そこを体で覚えていただきたいと思います。

私にできる最善をつくし、安心と安全を第一にトレーニングを運営することを、お約束したいと思います。


私がジェームズ、ペニー、マリアンからもらったものを、そのままの温かさで、次のみなさんに引き継ぎたいと思います。


私が彼らから学んだものは、技術よりも大事なもの。温かい温かい何かです。



さて、これで、今年のブログは本当におしまい。


よいお年をお迎えくださいね。