同じことに取り組むのに、そこに関わる人たちの意識と行動が変わると、そこに広がる世界が変わり、全く違うことが起きる、味わう体験や感情が変わるという事実
2つの、いえ、たくさんの現実、それからクオリティの格差。
同じことに取り組むのに、そこに関わる人たちの意識と行動が変わると、そこに広がる世界が変わり、全く違うことが起きる、味わう体験や感情が変わるという事実。
本人は同じ人なのに。
まるで、パラレルワールドのように。
.......
私がこの1ヶ月半で体験したことのひとつは、意識と行動で現実は変わるという事実です。
特に、プログラム志向もしくは解決志向か、リソース志向もしくはアウトカム志向なのか、その差が現実の体験に大きく影響するということです。
シンボリック・モデリングは後者です。
セッションの前提に、「クライアントは問題を抱えている」という前提をおきません。
問題も扱いますが、その扱い方は、「あたかもそれが問題のように扱う」が鉄則です。
また、ファシリテーターは、問題を解決しようとするのをサポートはしません。
違うやり方で、同じことをします。
「その人が望みを叶えるのを、その人が欲しいものを手に入れていくのを」「リソースを使ってそれをするのを」ファシリテーションしようとします。
私が改めて体験したもう一つは、人の人生は、他者との相互作用の影響が大きいということです。
この相互作用のことを、シンボリック・モデリングでは、「フィードバック・ループ」と呼んでいます。
それからもう一つは、メタファー・ランドスケープは、現実を眺めるときに、その仕組みを転用できるということです。
この1ヶ月、少人数のグループで、私は、これを実験し続けました。
世に存在する最小単位のグループ、家族で。
私は、この1ヶ月、家族を、その周囲を取り囲む人々や出来事を、「あたかもメタファー・ランドスケープのように」眺め続けました。
つまり、人々と出来事を、リソースとアウトカム中心に眺め続け、頭の中で、クリーンな質問を使ってシュミレーションし続けました。
家族は、性格や背景を把握できているため、詳しいシンボルやメタファーと同じ扱いができるはずだと仮説を立てたからです。
それをするために、私は、一つだけ、最初に諦めました。
「自分の感情」です。
私には、感情よりも大事なものがありました。
父が人生をかけて守ってくれたもの、父から「お姉ちゃん、頼むよ」と言われたもの、それをなんとしても守り抜く必要がありました。
守りたい、と、私が思ったからです。
.....
昨日、父のことがひと段落しました。
家族は、新しいステージに入りました。
父は、グループホームに落ちつきました。
その帰り道、私の中で蓋をしてあった感情が溢れでてきました。
お父さん、ごめんね。
みんなを守ろうと思ったら、これしか方法がなかった。
ごめんね、お父さん。
家に帰りたかったよね。
ごめんね、お父さん。
ありがとう、みんなを守ってくれて。
ありがとう、ありがとう。
お父さん、ごめんね。
涙は、溢れて溢れて、溢れ続けました。
......
家につくと、夫の母が、私を心配して連絡をくれました。
よく頑張った、これが最善だと、夫の母は私の話を聞いてくれました。
それから、私は、心配して、時折メールをくれていたペニーにメールを打ちました。
1月2日から、私はテキスト作りに戻る、と書きました。
父が守ってくれたひとつは、私の仕事です。
......
一夜明け、私の頭の中で、シンボリック・モデリングのプロセスやその意味が、これまでより深いものに変わっていることに気づきました。
私は、現実を変えないものには興味がありません。
精神的なことを満たすだけ、傷を癒すだけのものなら、すでにいいものがたくさんあり、わざわざ自分がやるまでのこともないように、私は感じるからです。
今回、私は気づきました。
シンボリック・モデリングには、これまで、文章化されていない別の効果がいくつかあることに。
それが、日本社会を生きる私には大きな影響があることに。
日本の大きな価値観を満たすことに。
シンボリック・モデリングには、予防効果があることに。
望まない現実を生み出すのを予防できること。
他にもありますが、ゆっくりまとめていきたいと思います。
今は時間がありません。
ともかく3月までに、マテリアルを揃えなくてはいけません。
教え方自体は、4回やったPR2Oフェスティバルが、私に自信をくれました。
1回目、辿々しい質問をしていた参加者さんは、4回目、すらすら質問を使っていました。
どれくらいできるようになっているか、それを確認したくて、最終回、グループワークをつっこみました。
みな、ちゃんと使えるようになっていました。
自分のやり方でいける、と、私の中に小さな自信が生まれました。
だから、マテリアル。
ありがとう、お父さん。
とりとめなく、今年はここまで。
よいお年をお迎えください。