初めてのグータッチ

 昨日、父は運良く69才だった。

何が運良くだったかというと、昨日は夫が一緒だったからだ。

69才の父の世界に夫はぎりぎり存在していた。


さらに、夫と私が結婚式を挙げたのは、父の誕生日だった。

それには理由があった。

「君たちの人生だ。自分が信じたように自由に生きろ」と、幼い頃から妹と私に言い続けた彼が、私の人生にたった一つ望んだもの。

それが、「幸せな結婚」だったからだ。


父は過去、一度だけ言った。

「君は強い。けれど、君は君自身が思うより強くない。誰かと一緒に生きるのがいいと、お父さんは思う。」


そして、一度目の結婚終了後には、会うたびに「君はもう結婚しないのか?」と、ひとりだけしつこかった。


私の人生に何も望まなかった父へ、私から贈り物ができるとしたら、せめて、結婚式を誕生日プレゼントにするくらいしかなかった。


そういうわけで、昨日、私と夫は、結婚間もない新婚さんとして登場した。


私は父に聞いた。

「今日のクイズ。この人は誰?」


父は笑いながら、「そりゃお前」と親しげな笑顔を夫の方に向けながら笑った。

夫はひとりで私の実家に遊びに行ったり、私の母と2人で買い物にいけるくらい、私の実家の家族には馴染んでいる。


父の口から夫の名前は出なかった。

けれど、父は満面の笑みを夫に向けた。


私は、「私のだんなさん」と言った。


父は「なんや、見せつけにきたのか」と楽しそうに笑った。

「こいつは、かなわんなあ。なあ?」と父は夫に笑いかけた。


昨日、病室は、父の世界では家だった。

それで私は帰り際、「じゃあ、私たちは、買い物に行くわね。お父さん、またね」と言った。


すると、父は「おう、気をつけてな」と言った。


そして、私にむけて、笑いながら、右手の握り拳を突き出してきた。

それで、私も右の握り拳を突き出した。


そして、私は父と、「生まれてはじめて」グータッチをした。

それはなんだか、共犯者同士がするグータッチのようだった。

互いに握った手、その中にたくさんの声なき言葉が詰まっているようだった。


私は知っている。

体は、言語化されるものよりも、たくさんの言葉を持っていることを。


私は、心の中で、にやりと笑った。


父がその日何歳であろうと、私と父の存在との関わりは、最後のその日が来るまで、いまだ現在進行形で、私たち家族は、共に新しいミッション遂行中であると、私が気づいたからだ。


そして、この新しいミッションは、私の精神状態にかかっていると、私が気付いたからだ。


「さあ、最後のその日が来るまで、はちゃめちゃを楽しもう。君ならできる。ゲームスタートだ。何が起きるか見てみよう」と、私は思った。