DAY77: 魔法の呪文
数年前、”What would you like to have happen?”について、日本語訳を探求していた私は、大学時代のゼミの講師だった教授にメールを書いた。
教授の訳は、「あなたは、何が生まれるといいのでしょう?」だった。
さて、最近のある夜、私とあるクリーン仲間でもある友人は、気付けば夜中まで、この質問の訳について話し合っていた。
「ウ」の音が欲しい、と、2人ともが言った。
自分たちが無意識に、その音をつっこむためにしていることにも気づいた。
私も友人もクリーンランゲージ以外のことも仕事で使う。
他のやり方のときには、それはしていない。
私に関しては、日本語でクリーンランゲージを使うときだけそれをしていて、英語ではそれはしない。
.....
私は笑いながら言った。
「ここに来て、パンドラの箱を開けてしまった気がする。」
友人は言った。
「なぜ、我々は、諦めないのか?」
私は言った。
「きっと、まだ、何かもっといい訳があるからだと思う。もしかしたら、全て、忘れてゼロから、音から考えたらいいかもしれない。」
音がしている仕事は大きい。
この場合、節回しといえばいいのか。
クリーンランゲージの質問に重要な要素をデイビッドが表した「Oomph factor」を現す個人のメタファーを教えてほしいと質問して、返ってきた答えは、楽器にドラマ、太鼓の音だった。
私が欲しいのは、翻訳じゃないんだな、と私はうっすら思った。
私が欲しいのは、「What would you like to have happen?」と同じ働きをする日本語の質問だ。
私は言った。
「have」も欲しい。
それは、今、まだない。
今、まだ持っていない。
でも、未来には、ある。
未来には、likeとhaveがある。
それが、happenする。
私は、「私には、デイビッド・グローブが、単に使役の役割だけで、haveをつっこんだとはどうしても思えない」と言った。
彼は小さな一語一語を、精査し選びつくした人だ。
シェイクスピアとバッハが好きだった人だ。
そこには意識的にしろ無意識にしろ、何かあるはずだ。
そして、haveが意味がないなら、シンボリック・モデリングのアウトカムの定義が、likeとhaveがあることであるわけもない。
....
私と友人は、同じ体験を持っていた。
どちらも、英語も話す日本語を母国語とするクライアントにセッションした経験があった。
私たちがしたのは、英語で質問した時の方が、クライアントの反応が段違いにいいという経験だった。
私は、「自分は英語で質問し、相手は日本語で答える」というやり方を何度かしたことがあった。
特にクライアントの反応の違いが大きいのは、What would you like to have happen?だというのが、私と友人の共通する見解だった。
最初の最初に問いかける、それ。
クライアントがサイコ・アクティブになる前の話。
最初の最初のそれ。
舞台設定。
場面設定。
私は、自分がどれだけ悔しいか、笑いながら話した。
明らかに、私のセッションは、日本語でやる時の方が、私はいろんなことができる。
それなのに、英語でやる時の方が、いつもクライアントの反応がいい。
母国語で、同じことが提供できない。
私のセッションスキルは、英語だと明らかに下がる。全ての言葉を拾いきれない。
私は、日本語でなら、もっと上手くやれる。
母国語で再現できない。
もっと役に立てるのに。
私がサポートしたい人たちは、日本語を話すのに。
それが悔しいんだ、今でも、と、私は笑った。
「訳じゃない。違いは、音だと思う」と、私は言った。
「音だねえ」と、友人も言った。
そして、また、「我々は諦めが悪い」と友人が笑い、私も笑った。
今の訳は悪くない。
前よりはよくなった。
けれど、さらにより効果が高いやり方があるはずだ。
「諦めない、というのは、そこに何か自分がまだ可能性を感じているからじゃないかと思う。しかも、1人じゃない、2人いる」と、私は笑った。
試してみよう、それしかない、と、まあ、お決まりのことに話は落ちついた。
今朝、もしも音が使えないなら、何か他のことで、同じ作用をするものもあるかもしれない、と、ふと思った。
そして、すごく最初の頃に、ジェームズが、この質問の別バージョンをメールに書いてくれていたのを思いだした。
どこへ行ったかいな。
探してみよう。
追いかけるものは、機能、作用、効果。
この場合、言葉は道具。
答えを知っているのは、クライアント。
しかしまあ、まだまだ長くかかるのよ、ということだけを、私は確認した。
暗号解読みたい。