DAY61: 場所

さっき頭に浮かんだのでメモ的に。

「さっき」、私が何をしていたかというと翻訳作業でした。
InsideCleanのシーズン1の2回目のワークショップの本編の翻訳。

このシリーズのシーズン1は、「この前、トレーニングが終わったばっかりです」という最近、クリーンランゲージやシンボリック・モデリングに出会いました!という人たちも対象にしているコースです。

セッションをするときに必要なテクニカルな部分、基本的な考え方の部分を、「自分たちはどうやっているか」という立ち位置で、ペニーとジェームズがシェアをしていっています。

そして、私は、この2回目のワークショップ分から翻訳方針を少し変更しています。
どのように変更したかというと、細かくは、一つ前に書いていますが、「英語がわかる人がどう思うかはもう無視することにした」のです。

日本語だけで、クリーンランゲージと付き合うことになる人たちのことを考えることにしたのです。
それが一番、誰にも役に立つと気づいたからです。
英語がわかる人は、そもそもか、その前にか、その後にか、英語を読めばそれですむ話なのです。

そして、私は知ったのです。
英語が堪能であるということと、翻訳力は別の話だということを。
私は、自分の日本語力が低くないことは知っています。
日本語、国語、それは私が唯一、最初から最後までテストがパーフェクト、100点連発で、ほとんど試験勉強をせずに、テスト問題を見れば答えがわかった科目です。

英語で学ぶ人も、その人が日本語でもファシリテーションを必要とするなら、その人はやはり、日本語を必要とします。
誰かに説明するときも、日本語を必要とします。

やがて、未来で登場するだろう、私がバトンを渡す誰かは、そういう人のような気がしたのです。
英語は達者、でも、日本語の表現力はもしかしたら、私の方が高いかもしれない。
そういう自分よりも10歳くらいは若い人が登場するような気がしたのです。
やがて。
根拠なく。


そうして、私に起きた変化は、英語っぽい表現から、完全に日本語に切り替えることでした。


これは、私の中に生まれた少しの自信がもたらしたものでもあります。
最初のうち、自分がどこまで理解できているかどうかが怪しかったので、私はできるだけ、直訳的な表現を選んで翻訳するようにしていました。

その理解は、英語だけの話ではありませんでした。
クリーンランゲージやシンボリック・モデリングについて、です。

私が翻訳を始めた頃、私は、クリーンランゲージと出会ってからわずか3年、そして、シンボリック・モデリングには、その半年前に、初めて出会ったような気分がしていたからです。それは、全てが魔法のように見えた世界との出会いでした。

ともかく、まだよくわかっていない、どうにもこうにも奥が深そうだということだけが、私に理解できたことでした。


そして、シンボリック・モデリングに特化された私の英語力は、シンボリック・モデリングのことならば、大体のことは英語でわかるようになりました。
理解のための体験や経験の数も積み重なりました。

そして、さっき「キャリブレーション」についての説明を翻訳していました。

(ちなみに、シンボリック・モデリングでいう「キャリブレーション」はNLPや他のコーチングで一般的に使用されている意味とは、定義がやや違うのと、どこを何のためにキャリブレーションしているかその目的が異なりますので、ご注意を。ごっちゃにすると、ファシリテーションがやりにくくなる可能性があります。特に、NLPの知識がある方は、シンボリック・モデリングで使用される言葉には区別して理解する注意がいるかもしれません。普段そこまでの説明はあまりされませんが、厳密には、シンボリック・モデリングには、「用語」というものはほとんどなく、ほとんどが「メタファー」で、その名前は単なる「ラベル」です。)


そして、まあ、例により、私の思考はあっちこっち飛んでいますが、私は思い出しました。

セッションの中でシンボリック・モデリングを使い始めた頃、そうですね、7、8年前ですが、その頃、しょっちゅう起きていたことを。

それは、私自身に起きていたことでした。
「あれ?これ、この前のクライアントさんも同じようなことがあったな。」

その「あれ?」は、私は習っていなかったことでした。
けれど、違うクライアントから、同じ反応が起きることがちょいちょいありました。

そうして、私は、少しずつ試しながら覚えていきました。
こういう時はこう、こういう時はこう。


それが、「モデリングしてキャリブレーションすること」だった!ということを、私はこの度、はっきりと自覚しました(笑)
おせえわ!(笑)

私が学習に使用していた言語が英語だったために、日本語の社会の中での自分の行動と言葉が結びついていなかったんですね。
説明はできたんですけどね。

その頃、英語の世界は、私にとって、日常とは切り離された世界でした。


今、しっかり、行動と言葉が結びつきました。

・・・おせえわ!(笑)


そして、思いました。

だとすると、これは、いつも決まった相手と練習するよりも、いろんな人とファシリテーションが練習できる環境を用意する必要がある。

固定的なメンバーで練習すると、そこに深みが生まれるという良さがあります。
けれど、モデリングとキャリブレーションの練習であれば、不特定多数と練習できる方が「共通項」を見つけやすい。


そういう思いが浮かびました。


ということは。

「私は、やがては、場所を用意する必要がある。」


それは、おそらくは、プラクティス・グループですが、「どなた様も一回限りでも参加OK。誰でもウェルカム」という広いグループも作る必要があるなあ・・・と気づいたのでした。


場所ね。場所。というか、そういう時間というか空間というか。
オープンな場所、時間、空間。


その場所は、「何か暖かい、とても暖かい」そういう場所。空間、時間。


またしても、課題を見つけました。


もう、たくさんありすぎて、何からやるかわからなくなりそうですが、翻訳からやります(笑)

日本語の説明が、何よりも先に、まずは、とりあえず、必要です。
それは、流石にわかっています。

私ではなく、メタファーが、わかっていますので、それについて行こう!
もう、君が頼りだ!(でも、私なんだけど、別物みたいな感じなんですよ。メタのシンボルってやつは。)


というところで、メモは終わりです。