DAY71: 先に自分の体験を書いたら?
昨日、月2回、英語でおしゃべりするクリーン仲間の友達と話した。
彼女はシステミック・モデリングのファシリテーターで、翻訳者でもある。
私たちは、「語学学習のためのクリーンランゲージ」のグループで出会った。
それから、私たちは、記憶力向上を目指すために、それについて書かれた『Unlimited Memory』(日本語未訳)という本の読書会をした。
この読書会の最初の二回には、ペニーも参加していた。
読書会では、私たちはほとんど冗談しか言っていなかった。
私は、ケラケラ笑っていた記憶しかない。
それから一年半、私たちは月2回、話し続けてきた。
彼女は現在、私には想像もできない困難な精神状態におかれているはずだが、彼女はいつも、凛として微笑んでいる。
彼女とおしゃべりしたい一心が、この一年半、私の英会話力向上のモチベーションだった。
天気の話、最近の日常の出来事、おすすめの本。
少しずつ、話せる内容が増えてきた。
最近、ペニーに「毎回、英語が進歩してるわね」と言われた。
それは紛れもなく、この彼女のおかげだ。
そして、私の平和を願う気持ちは、今、もはやMAX状態だ。
来年には、2人一緒にイギリスでワークショップに参加するというのが、私個人の現在のアウトカムだ。
そのための必要条件が、平和、だ。
さて、彼女は、昨日、本を書くと言った私に言った。
「いきなり本より、まず、記事を書いて練習したらいいんじゃない?あなたが、おばあちゃんやお父さんや家族に、どのようにクリーンな質問を使っているかは、知ると助けになる人がたくさんいるんじゃないかと思うけど。」
.....
クリーンな質問は、こちらが相手が言っていることを理解する必要がなく、また、クリーンランゲージは、ナラティブ(ストーリー、物語)に重点を置かず思考の構造に目を向けるので、相手に巻き込まれにくい。
だから、こちらがあまりしんどくならずに、自分の考えが及ばない人と会話ができる。
効果のほどは、他の彼らに関わる家族たちが、のきなみ精神的に疲弊していく中、私ひとりがピンピン元気なあたりから、おそらく確実だ。
介護には、そこに、他の家族の人生もある。
そして、見てきた限り、認知症や介護そのものより、他の家族が疲弊することの方が、よりたくさんの問題を生み出している。
ようするに、疲れない、少なくとも精神的に疲れないやり方があれば、家庭での介護はまだ負担が下がるかもしれない。
精神的に疲れてしまうと、状態を変化させるのが難しくなる。
祖母と父は、私とは会話が成立する。興奮していても穏やかになる。
(だから、双方がいる場所から、私は呼ばれる。もはや、家族としてではなく、ファシリテーター状態。でも、家族。)
父は、「君は答えを何も期待していないのがわかるから、話すのが楽なんだ」と言った。
私は、祖母の行動パターンをモデリングして、対応を探り話し方を見つけた。
それをシェアしたことで、祖母への対応が楽になったと叔母は言った。
私は、私を変化はさせていない。
私は、彼らに共感もしていない。
だって認知症の人の世界を私は体験したことがないから、さっぱりわからず、共感のしようがないから。
私にはその世界は理解できない。
理解できない、でも、サポートすることはできる。
興味と好奇心は持っている。
未知なるものに。
そして、たったひとつ、私がわかっていることは、クリーンランゲージを学ぶ前の私には、これはできなかった。
私は、他の家族と同じように、今、精神的に疲弊していたと思う。
認知症の人の生み出す世界や物語はとてもパワフルだから。
彼らは時空は歪みまくり、過去にも今にも、好きなようにいける。
父など、場所まで自由に移動する。
季節も変わる。
死んだ人は生き返り、生きている人が消滅する。
彼らがしている体験に、時空のルールに思考が縛られた普通の人が理解し共感するのは、至難の技だ。
介護の心理のプロはできるだろうが、家族は犠牲を払わずには無理なんじゃないかと思う。
だって、自分の人生があるから。
自由自在な世界、それに似たものを私は知っている。
そして、その似たものの扱い方を知っている。
メタファー・ランドスケープ。
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こういう話を英語で書いたら誰かの役に立つかしら?
私の頭が、少し動いた。
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理解しなければサポートできない。
共感しなければサポートできない。
そのほとんど常識みたいになっている思い込みから解放されることが状況を変える話で、楽になる人はいるだろうか?
クリーンなスタンスなら、それは可能だという話。