リキャップしてみた。

 

私は、資格を取ろうとしない傾向がある。


それは、資格=使える、できる、ではないからだし、資格=仕事がある、からでもないからだ。


そして実際、ここまで10年以上、私に資格を尋ねたクライアントは1人もいなかった。

資格を気にする人は、そもそも来なかったということだとは思う。


仕事は常にあった。

時期により量は違った。

クライアントがいなくなったらやめようと思いながら続けてきたが、クライアントがいなくなることはなかった。


私の頭にあったのは、常に、スキルアップだけだった。


スキルアップすればするほど、助けられる人が増えると思ったからだ。


何度か書いているけれど、私がセッションを始めたのは、それが好きだったからではなく、できたからだった。

私は、そもそもは、50歳まで勉強して、それから始めるつもりだったことを、お金のために15年前倒しして始めた。


その頃はじめた事業で、とっぱなにダイナミックにミスをして、生活費が足りなくなったからだ。

生活費の日銭稼ぎに、私は、セッションをはじめた。


心理学の勉強自体は、20代後半に手をつけていた。

最初の先生が、「君は臨床心理士には向いていないと思うよ。臨床心理士は、人の心の闇に向き合う仕事だ。君を見ていると、なぜだか夢や希望が浮かんでくる。君は人の心からそういうものを引き出す仕事の方が向いているんじゃないかと思う。どちらも同じ仕事だよ。君は明るい場所にいなさい」と言ったM先生だ。


心理カウンセリングを勉強して3年経った28歳。

その生涯を、人の心を助けることに捧げたM先生が死んだ。


先生がいなくなったので、大学院に行こうとした私は、そこに必要なものを書いている途中で、ふと思った。

「一日8時間、他人の話を聞き続けることができる?私、こんなにおしゃべりなのに。」


そして、私は、書いていたものを破った。

小論文。


それから家族に話した。

「あのね、私、臨床心理士はやめて、占い師になるわ。占い師はしゃべっていいのよね?」


家族は大爆笑して言った。

「みんなで、それを言っていたのよ。あなたが、いつ、そこに気づくかって。お金を払う前でよかったわ。占い師ならいいんじゃない。」


私は当時、お金を持っていなかった。

母は、私が「学費を貸してくれ」と言ってくるに違いないと読んでいた。


私はそこから占いを勉強した。

これはいたく簡単だった。


その後、離婚した。


とりあえず、私はフルタイムで働く必要が登場し、過去に逃げだした会社に連絡した。


ちょうど社長が人を探していて、私は翌月から、またその会社で働きだした。


そして、働きだした私は、そこにいた人たち、主にはクライアントを相手に占いの練習をし始めた。

やがて、クライアントの中に、私を先生と呼ぶ人が登場した。


私の現場に来た上司が、クライアントが私を先生と呼ぶのを聞いて、「お前、認められてるんだな」と言った。

確かに認められてはいたが、それは、仕事ではなく、占いだった(笑)


休憩時間や飲み会で、私は、手相を見ていたのである。

手相なら道具は必要なかったから。

若い女性が多い業界にいたので、悩みごとをカウンセリングのやり方で、手相という建前で、聞いていた。


クライアントの個人的な悩みを把握していることが多かったため、私の仕事には、これはいい影響があった。

仕事は仕事でちゃんとやったが、なんらか問題が起きたときに、クライアントが優しかったのだ。


というわけで、私は悩み相談を、営業ツールとして使い続けた。


そして、このとき悩みを聞いていた人たちが、数年後、私が会社をやめて、当初の予定より15年早くセッションを始めたときの初期のお客さんたちとなった。

また彼女たちが、自分の友人を、私に紹介してくれた。


だからして、資格は、誰も尋ねなかった。



私がセッションが好きかどうかは、長い間、わからなかった。

わからないまま、スキルだけは磨き続ける努力をした。


これは、何の仕事でも同じだ。

コンビニでバイトしたって、私は考えるだろうと思う。

そうしないと、私は飽きる。

好きかどうかより、退屈でないかどうかの方が、私には重要だ。


スキルアップは、同じことを続けていくときに退屈しない工夫でもある。



最近はちゃんとわかる。

私はセッションが好きだ。



そうこうしている間に、気がつけば、私は、占い師ではなくなっており、気がつけば、M先生が君にはそれが向いていると言ったことに焦点をあてる技法を使うようになっていた。


クリーンランゲージと、シンボリック・モデリングだ。



そして、今年に入って、私は言った。


「あと一歩、足を踏み出してしまったら、私は生きている限り、これに関わっている気がする。(今ならやめられる)」



そして、そのあと、私は、一歩踏み出してしまった。



そうすると、今朝、不思議な思いが私に浮かんだ。


ああ、そうだな。

あの資格を取ろうか。


クリーンランゲージがらみで、ひとつある資格だ。

これは、資格。


シンボリック・モデリングのトレーナーには資格はない。

私は、トレーナーになるトレーニングを受けるけれど、受けたからといって、資格はない。

変な話、トレーニングを受けずに、今日から私はトレーナーだといえば、私はトレーナーだ。


ペニーとジェームズは、「never」で、誰のことも、シンボリック・モデリングのトレーナーに認定はしていない。


ただまあ、私は、英語のクリーンランゲージのコミュニティの中にもいるので、私がいきなり今日、自分はトレーナーだと言ったら、ドン引きされると思うので、それはやらない。


敬意は払うし、手順は踏む。


資格はない。

彼らは育ててはくれる。

けれど、自由におやり、の世界だからだ。



そして、資格をもう一つ。

これは国際資格。

英語で勉強する。

英語力も、ぼちぼちいけるんじゃないかと思う、というか、英語力の向上を待っていてはもう間に合わない。



・・・それで準備完了かな?、と、私は思った。


不思議なことに、私は、日本の国内資格は取ろうとしなかったのに、国際資格は取ろうとするんだな。


不思議だな。



自分に必要な道具としての資格に気づいたところで、やがて、私は、自分が当初決めた年齢になる。



・・・・・・・


以上、今日書いた内容を、「リキャップ」といいます。

話を整理し、今、こういう状態ねと並べて認識すること。


これ、日常や仕事でも割と便利に使えます。

自分でやるときは、頭の中でやるとこんがらがるので、書いてやることをお勧めします。


リキャップ自体は、シンボリック・モデリングやクリーンランゲージが生み出したテクニックではありません。
言葉は技法によって違うことがあると思いますが、そもそもあるものです。
リキャップは、特に、NLPではよく使うんじゃないかと思います。


シンボリック・モデリングでのそれらの扱いを説明している文章はあるので、そのうち、どこかに翻訳していると思います。



ともあれ、セッション中では、これを、メタファー・ランドスケープの中で起きている出来事や、登場しているシンボルやメタファーについてやります。


どういう時にこれをやるか?は、いくつかあります。


そして、この後にくる質問は、その時リキャップした意図や目的により異なります。



今度は、バックトラックをやってみよう。