リハーサルをしたら浮かんだこと

つい先日、PR2Oフェスティバルというワークショップの第一夜の第一回リハーサルをしました。

オブザーバーをひとりお願いして。


内容は内緒だけれど、結論から言うと、私はやはりイベント好きだかして、ワクワクしてきました。


当日ももちろん楽しいのだけれど、準備段階や裏が、私は好きなのですね。


進行を組んだり、台本作ったり。

リハーサルしたり。


リハーサルまでに、進行と台本はすでに3回直しが入っていました。

パートナーとペニーとジェームズから。


この度、私がはじめて挑戦したのは、一から英語で進行と台本を作ることでした。

先に英語で作って、それを日本語に翻訳したのです。


最初は、日本語で作ろうとしたのですが、頭がうまく動きませんでした。


それで気づいたのです。

この数年、私が体験してきた世界は、英語のクリーンランゲージの世界だったことに。


私の体が知るワークショップは、最近のものを除いては、全て、英語で運営されていたものです。


私は本当に初期を除いて、クリーンランゲージを英語で勉強し続けてきました。

私の初期は、日本でのクリーンランゲージの初期とイコールです。


私は、日本で開かれた最初のトレーニングに参加していて、日本人のトレーナーの方も、まだ、クリーンランゲージを知って一、二年という頃でした。トレーナーの方が、まだ経験や理解が浅いうちに、自分でもそれがわかっていて、それでもリスクをとって、日本にクリーンランゲージを紹介してくれたことには感謝しています。

ともあれその後すぐ、私は、英語の世界に学習場所を移したため、日本語では聞いたことがなかったフレーズがいくつもあったのです。


グループをファシリテーションするときに使うお決まりのフレーズ。

合いの手。


なんかそういう小さなこと、たくさん。



それで方針を変え、パートナーに「英語で台本を作っていいですか?」と聞き、やりやすいようでいいよとなりました。


それから、それをペニーとジェームズにチェックしてもらい、いっぱい直して、そして、それから、日本語に翻訳しました。



そして、リハーサル。

ここには、ワークショップ当日にアシスタントをしてくれる、私の同期がひとり加わりました。たまたま家が近かったので、10年前、東京のトレーニングから一緒に新幹線で帰ってきていた仲間です。


彼女は、クリーン言語のテクニシャンですが、何かやる時は、今も、助けてくれます。

いつか一緒に、クリーン言語と、シンボリック・モデリングのコラボイベントがやりたいというのは、私の夢のひとつです。


イギリスでやっている、アドベンチャー・イン・クリーンみたいなの。

それとか、オンラインのメタフォーラムみたいなの。


それらは、いろんなクリーンランゲージの技法が集まるおもちゃ箱みたいなイベントです。
いろんなクリーンランゲージの技法が、日本で発展してからしかできなかろうイベントなので、未来を楽しみにしています。



さて、リハーサルですが、言葉は生き物ですから、口に出してみてはじめてわかることがあります。というわけで、そこで初めて気づくこともあり。


細かな日本語に直しをいれ。
間合いに表情。
足りないもの、多すぎるもの。
色々。



そして、リハーサルから少し経ち、私の頭にふと浮かびました。


このイベントは、…英語でもやれるんじゃないか?


なぜなら、私は、…英語の台本を持っています。



最初に、トレーナーの先生から、「ここでイベントのファシリテーションを練習しなさい」と勧められた場所も英語の場所でした。


私はそのときは、「英語で?無理無理…」と答えたのですが。



私には、私の英語を理解できる英語はペラペラのファシリテーター仲間がいます。

国籍は様々です。その人たちはだいたい、システミック・モデリングというグループ向けのクリーンランゲージを学んでいます。


そのうちのひとりも、「なんで、みんなに協力してもらえるところで練習しないのよ?」と不思議な顔をしていたのを思いだしました。


「だって、英語なんて無理だもん」と、私は言ったのですが。
もしかしたら、自分が思っているより、私の英語、伝わるようになっているのだろうか?

自己認識と現実にギャップがあるのかな…?



それから、私の頭に、ふと、「もしかして、助けてもらえばいけるんじゃないか?」という思いが浮かびました。



そして、私は、自分が東洋人であることを思い出しました。


これは、コミュニティのリソースにはならないだろうか?
東洋人であることは、東洋人のエッセンスは、コミュニティのリソースにはならないだろうか?


そして私は…来年、考えよう、と、決めました。

今年は別にやることがあるから。



ともかく、足を一歩踏み出すと、そこに、考えても見なかった少し先のビジョンが浮かびました。


面白いですね。


この一連の流れは、「もう誰が死ぬのも知りたくない!」という私のへなちょこ恐怖が生み出したものです。

問題はいつでも、何かの卵。

というわけで、PR2Oフェスティバル、第一夜のお題は、「問題と遊ぼう」です。
少しだけ宣伝して終わります(笑)