どうしてこんなに自国に対しての評価が低いのか、私?
最近、ちょっと、不思議に思っていることがあります。
そして、先週もそれを感じたので、ちょっと書いてみます。
「どうして、こんなに、自国に対しての評価が低いのだろうか?私?」
それが、ちょっと不思議に思ったこと。
この想いは、どこから来たんだろう?
そして、この想いは、どうも自分だけが持っているわけでもないようだけれども、一体、この思いの源はどこなんだろう?
それが、私が不思議に思っていることです。
先週、私は、ほとんど無謀なオンラインでのアンカンファンレンスに参加していました。
最近、割と無謀なことをやります。無茶に慣れてきました。
もっというと、この数年、語学力的には無茶しかしていません(笑)
それは、神経科学という新しいジャンルの研究と、クリーンランゲージのコラボのイベントでした。もちろん、言語は英語です。
私は、神経科学が何かはさっぱり知りませんでしたが、その中でファシリテーターをするクリーン仲間が、「認知症のことをやるコーナーもあるよ」と教えてくれたのですね。
何回かここにも書いていますが、私の父と祖母は認知症です。
というわけで、私は、そのアンカンファレンスの前半だけに参加しました。
前半だけだったのは、時差の関係です。眠気に負けました。
余談ですが、その中で、ケイトリン・ウォーカー(システミック・モデリングを作った人)がシンボリック・モデリングを使ってファシリテーションするデモを見ました。
そして、なぜ、ケイトリンがシステミック・モデリングを作ったのかを知りました。
内容はもちろん勉強になりましたが、ケイトリン、セッションするとき、ノート取らないんだって!どんな記憶力…。
そして、認知症のコーナー。
私は、当てられるのが嫌だったので、カメラはオフ、音声ミュートで、観客と化していました。
聞いているだけなら、トピックがわかっていれば、まあ、大体はなんとかなるのです。
そのコーナーのメインは、認知症予防についてでしたが、なぜに、認知症を予防しようと様々な国で話題になっているかといえば、それは、周囲の大変さ。
話を聞いていると、まあ、各国、認知症のケア、特に家族のみなさんが大変な思いをしているのは共通なようでした。
わかるわ〜、と思いながら、私は話を聞いていました。
家族だけがしんどい思いをすればいいのか?というような意見も出ていました。
その中で、ある人が、日本での認知症についての政府の対応などに触れました。
「日本は、進んでいる」というのです。
福祉といえば、スウェーデン。
何かと「日本の福祉は遅れている、スウェーデンでは!」という話を私は耳にタコができるくらい聞いたことがあります。
ところが、認知症対策については、「日本は進んでいる」というのです。
理由は、みなさまご存知、この国が世界一、高齢化が進んでいる国だからです。
認知症予防にも、「日本はどこの国よりもお金を割いている」と、その人は言ったのです。
イギリスではいくら、他の国ではいくら、と。
それで、私は、慌てて、総務省のホームページに飛んで、認知症予防にいくらお金を使っているのか調べ、コピペして、それを自動翻訳にかけました。
なぜならば、そこにいた日本人は私だけだったから。
そこには、政府が認知症予防に割いている予算と、それから、「認知症予防」と「(認知症になった人との)共生」が、日本の目指すところだと書いてありました。
それで、私はその自動翻訳したそれをそのまま、Zoomのチャット欄に、貼り付けました。
すると、「すごい、素敵、進んでる!」というコメントが返ってきました。
「すごい、素敵」
それは、私の心に不思議な感覚をもたらしました。
最近ですね、似たようなことが時々あります。
まずですね、戦争になるのを本気で心配していないことに、まず、羨ましがられます。
本当に戦争になるかどうかはさておき、戦争になるまで、戦争になることを本気で心配していないでのんきに過ごせるというのは、とても羨ましがれます。
私は、「大多数の日本人にとっては、戦争は、おそらくファンタジー」と答えることにしています。
ま、なるときはなるでしょうけど。
ならないといいですね。
ヨーロッパの人たちは、現在、割とシリアスな人が多いイメージがあります。
日本は、巻き込まれる可能性(ある意味、物価やなんやかんやですでに巻き込まれてはいるのですが)が、他よりは低いということで、うらやましがられます。
あと、スイスですね。
でも、スイスは国民総皆兵の国ですから、徴兵制度もない日本は羨ましがられます。
それから、他のことでもちょいちょいあります。
「いいなあ、日本は」
そうして、私の心の中には、不思議な感覚が沸き起こり続けているのです。
なぜ、自分の認識と、外からの評価に、こんなにズレがあるのだろう?
不思議だな。
いったいこれは、どこからやって来たのでしょう?
いつからあるんでしょう?
そして、この思いがあることは、日本に何をもたらしてきたのでしょう?
不思議だな。