未来の記憶: 記憶という創造物

 

記憶は事実ではなく創造物なんだなと、私は、最近、自分の家族を観察していてよく感じる。


今、私の家族の2人に、記憶障害がある。

祖母と父。


けれど、今起きたことをすぐ忘れてしまうその家族たちは、新しい記憶も生み出している。


どちらも生み出すのは、過去の記憶。

それから、今の設定。

父のは割とダイナミックで、「そりゃ嘘だ」と他の人にわかるものだったり、「なんでや」と突っ込みたくなるものが多い。


最近のだと、病院をホテルにしてみたり、今日を12月にしてみたり。

住んだことがないオランダに住んだ話をしてみたり。

やりたい放題だ。


父の創造力は爆発していて、父はとても楽しそうにそういう話をする。


最初、生真面目な母は、そういう話を、いちいち訂正していた。

私は、それはやめてと何度も言う必要があった。


父のためではない。

それは、母が自分の首を絞めるのと同じ行為だからだ。


父には、母が嘘を言っているように見えるからだ。

だって、父が話すことは全て、父には真実だからだ。


そして、母が話すのは、母にとっての真実で、父にはもはやそこまで汲み取ることはできない。


初期段階、何よりも大事なのは、信頼関係の維持と強化で、その人の真実を他者が受け入れてくれるかどうかはどうでもいい。


でも、自分の中に何かあると、これはなかなか難しい。


私は、日本で自己啓発やスピリチュアルが流行りまくったのは、来るべき高齢化社会の準備だったんじゃないかとすら、最近、感じている。


自分の心の状態や考え方次第で、おそらく高齢者があふれかえる世界の中を生きる難易度は変わってくるのは、簡単に推測できる。


なんで?だらけの世界が登場するはずだ。




そして、ともかく、母が、父が認知症だと受け入れるのに時間がかかった。

母はともかく、きっちりしたい人なのだ。

だから、母が慣れるまでのその間が大変だった。

そして、母の方が病気になりそうな塩梅で、私や妹から「頼むから、がんばりすぎないで欲しい」と頼んだ。


私は何度も何度も言った。

「あのね、家族の認知症を受け入れられないか、がんばりすぎた人が、病気になるの。いっぱいいるんだよ。家族が認知症になったことで、鬱病になる人。お母さん、お父さんは認知症だよ。もう、諦めて受け入れよう。」



ところで。


「認知症の人の話を否定してはいけない」(混乱して事態がさらに悪くなる)はセオリーだが、父の話は面白い。

だから、私は、そもそも否定する気になれず、むしろ一緒になって、話を膨らませて楽しむことにしている。


それで、私はクリーンな質問を使って、父に質問する。


認知症の人の話は、心理的に活性化したクライアントがするメタファーの話と、ほぼ同じだ。


そういう意味では、認知症は内側としては、そんな特別な話でもないかもしれない。

外側に、自分の認知状態を言葉や行動としてそのまま出すかどうかだけが、認知症ではない人との違いかもしれない。


いくらでもいる。

ビルの立ち並ぶ都会の真ん中がその人の現実なのに、心の中で、自分はお花畑に住んでいると思い込み、咲かない花に嘆いている人は。

それを、理性で表には出さないだけの話だ。



というわけで、オーソドックスなクリーンな質問は、時制が現在形で、認知症の人とコミュニケーションするにちょうどいい。


クリーンなスタンスも、認知症の人相手にはちょうどいい。

向こうもこちらも疲れない。


そして、クリーンな質問は、何ひとつ、相手に対して答えを要求していない。


「こういう答えを返して欲しい」という前提はそこにない。

こちらは、ただ、トピックを指定しているだけだ。


それから、クリーンな質問は、話し手の言葉をそのまま使う。

だから、質問された人が理解しやすい。


認知症の「認知」は、記憶のことだけを指していない。

障害が現れるのは、認知力全般だ。

理解力や判断力にも障害は出る。


普段、私たちが当たり前のようにしている「他者の言葉を理解する」作業は、他者の言葉を記憶でき、理解でき、さらに会話の中では、それを相手に伝わる言葉で言語化できる必要があるスーパー高度な作業だ。



相手が「自分のボキャブラリーとして持っている言葉」を使うのは、認知症の人に優しいなと感じることが多い。

こちらの理解を押し付けない。


そして、これが素晴らしいが、クリーンな質問は、好奇心や創造性を刺激する。


ついては、父と私の会話は、大盛り上がりを見せる。

祖母の場合は落ちついて、ケラケラ笑う。


私と話すと父の顔色がよくなり、祖母が穏やかになるので、私は、今、身内で人気ものだ。



父が私と話すのが好きな理由は、母から質問された父自身が、最近語った。


母は、「まあ、あなた。Yちゃんと話してると、なんだか顔色まで良くなって、ふっくらしてきたみたいよ。なんで?」


父は言った。

Yは、僕に何も期待していないのがわかる。彼女はどんな答えも期待していない。

彼女が欲しい答えがあるわけじゃない。

彼女は、ただ、会話を楽しんでいるだけだとわかる。だから、話しやすいし、気が楽なんだ。」


父は、私が、それをテクニカルにやっていることに気づかなかった。


素晴らしい。

気づかないなら、このまま使える。




私の頭には、認知症の初期、中期、家族がどういう対応をするかで、その後の介護の楽さが変わるという、学校で習った知識が刻みこまれている。


いち早く、相手が認知症だと受け入れる方がいいけれど、まあ、なかなかに難しい。


なにぶん、それのゴールは死だ。

他の病とは、そもそも成り立ちが違う。

励ましは励ましにならない。

治らないから。


そして、家族的には、自分の理解が通用しない理解を持っている人と付き合うことになる病気だ。



他者を理解することを是とする人には、ちょいとしんどいかもしれない。

自分の価値観でしんどくなるのかもしれない。


我が家は、母が最初、時間がかかり、母の方がやばかった。

この人は、祖父母の介護の経験はあった。

ただし、それは中期以降に病状が進んだ後で、そこまではついていない。



記憶できる人にとって、記憶できない人のことを理解する難しさ。


自分は記憶しているのだとわざわざ意識しないで、人は実にたくさんのことを記憶しているものだなと、私自身も、ここ数年、祖母や父から学び続けている。



同時に、記憶や理解は単なる作り物だと、自分が知識としては理解していたことを、「ほんとだわ」と、改めて腹の底から納得していっている。



その作り物が、人生を生み出すのだから、すごいこと。





そしてそれから、私の発想は、ポン、と飛んだ。



ああ、そうか。

シンボリック・モデリングでやっていることが何なのかがわかったと、私は思ったのだ。


シンボリック・モデリングは、未来の記憶を生み出す技法でもあるんだなと。


理解も生み出しているけれど。


なるほどねえ。


父の認知症はなんだか、私の学習サポーターのようだ。