次の課題
過去に、この先数年に渡る私の未来を語ってもらったことが何度かある。
悩み多き三十代半ばの頃。
面白かったのは、その何人かが語った内容の中に、かぶる内容があったこと。
全員が言ったのは、「英語をマスターしなければ、あなたのこの先はありませんよ」ということと、「あなたはやがて、日本と外国を行ったり来たりしはじめる」「文章を書きなさい」ということだった。
当時の私の日常に、英語は必要なかったし、パスポートは随分前に有効期間が切れていた。
私の行動範囲は、京都と大阪、足を伸ばしても静岡までで、英語どころか標準語すら必要なかった。
だから、私には、言われたことは、全くもってピンと来なかった。
日々に追われていて、英語の勉強をする時間はなかった。
当時、私がおかれていた状況は、息をしているだけで2部屋分の家賃その他もろもろで月30万円の維持費が発生する状況、ついでに事業の借金も抱えていたから、私は、月々のお金を生み出すために必死だった。
(その時期、お金の足しに、セッションをはじめて、自分の生活費は、セッションから出ていた。)
10年経った今、何人かが言ったことでかぶっていたことがそのまんまになってきていることに、たまに驚く。
と同時に、彼らが読み取ったのは、私の言語化される前の願いだっだんだなとも思う。
と同時に、願いは、本人が言語化しないと、他人が気づいても効力が薄いなとも思った。
現実的には。
私は、わあ〜、楽しそうだなと思ったが、英語の勉強には手をつけなかったからだ。
希望は一瞬浮かんだけれど。
自分がやりたいと望まない限りは、体が動いてくれないんだなと。
未来で願う可能性があることより、今願っていることを、自分自身が知ることが大きいなと、なんとなく思った。
今日の私が願うこと。
今日のあなたが願うこと。
今日の私は、英文を翻訳し、知りたいことを尋ねるための英文を書こうとしている。
10年経って、私の日常まで、私の中にあった願いは浮かび上がってきた。
それが願いだと把握する5年前から、体は先に行動を始めている。
頭は最近、理解した。
次なる私の課題は、頭と体が同時に理解できるようになることである。
すると、そこにある時間のギャップが埋まり、現実空間の中で、より素早く、より豊かに、より楽しく、物事が運べるはずだと推測しているから。
今、に、全てを引っ張り込むこと。
それが課題。