好きに対する評価

 

よくできるとかできないとかではなく、好きな気持ちの強さが思いがけず評価され、現実を動かすことがある。


私は、自分はこれがすごく好きなんだということを自覚した時に、ああ、だからか、と気づくことが多い。



最近、あることについて、またひとつ、なぜ沢山の人が自分を尊重してくれたのか、私は気がついた。

自分はあることをものすごく好きだと気がついた後に。


ただの好きじゃない。

ものすごく好き。


私は、好きなものが多い。

基本的には、好きでないものを集めない。

いかに好きなものを集めるかに心を砕いている。

好きではないが自分に選択権がなく、側におかざるを得なくなったものについては、嫌いにならないように注意する。


(これは機嫌よく暮らすための私の工夫。私の機嫌は、いろんな場所に影響を及ぼすし、仕事のパフォーマンスも変わるし、何より、機嫌がいい方が自分が楽しい。)


だから、好きは、私の周りに溢れ返り、どの好きが特別なのか、自分では区別がつきにくい。

どの好きが特別な好きかは、意外に、他人の方が把握していたりする。



ともかく、ああ、ものすごく好きなんだなあと気がついた後、ああ、だからかと、いくつかのことに納得した。


好きだから苦しかったし、好きだから努力したし、好きだから諦めなかったし、好きだから沢山の人がサポートしてくれたんだと気がついた。


そういや言われたことがあるなと思い出した。

「あなたは、ただ純粋に、これが好きなのね。」


そして、サポート体制が作られた。

お願いしなくても、沢山の人がサポートし、励ましてくれた。


好きなのが見えていたのかあ、みんなすごいねえと思った。


こういう時、私は感謝に満ちる。

好きを尊重してもらうことは、自然な感謝を促す。

心とお腹の真ん中がやわらかく溶けていく感じがした。


そしてそれから、あ、なるほどな!と、私は新しい気づきを得た。

自分の体験がまたひとつ、私が大好きなあることへの気づきを促した。


そして、自分のここまでの選択は、ありとあらゆる意味で、自分にとって正解だと思った。


そして、そのあることを、もっともっと好きなものにし、その豊かさや楽しさを、人に分けるにはどうするかを一生懸命考えることが、ここからだと思った。


やることは変わらない。


ただ変わるのは、私は好きなことをしています!という自分の意識のみである。


けれど、好きと気付いていることは、同じ作業をより楽しく遊び心が満ちた工夫されたものに変える。



そんなこんなで私が他者からしてもらう評価で一番嬉しいのは、好きなのね、かもしれないなと思った。

そして、他者にそれを一緒に楽しんでもらう時、ものすごく満足するのかもしれない。