自分を卑下する時間があるならば、他人を褒めろ。
次の私の課題は、行動と同時に、なぜ自分がそうしているかの理由を把握できるようになることだと気がついた私は、自分の個人的脳みそ事情に思い至った。
そして、気が付いた瞬間、自分ひとりで、そうできるようになることを即座に諦めた。
できないものをできるようになるために割く時間は、もはや私にはない。
どうしてできないのかしら?と落ち込むのは、二十代で廃業した。
平たくいえば考えて把握してから動くということなのだが、無理だ。
私は、優秀でストイックな専属スパルタトレーナーが二十年間かけて、私にそれを叩きこもうとして、失敗した過去があることを思い出した。
娘が世を生きていくために、生きる術を教えようとした母である。
さらに、私は、もう考える前に好きに動いていいよと、数年前の一月に、自分に許可を出した。
それ以来、体はのびのびやりたい放題だが、特に困ったことは起きていない。
頭がついてこないので、私は、なんでや?!とたまにあたふたなっているが、現実としては困ったことは起きていない。
むしろ、体が好きにしている方がうまくいっている。
無理だ、と、悟った私は、すぐに方法を変えることに決めた。
得意な方法を使うことにした。
つまり。
すみませ〜ん!ちょっと力を貸してもらえませんか?と、頭を下げて、他人に頼むことである。
これは、私は得意だ。
人選びさえ間違えなければいいだけだ。
なぜ、私が、行動と同時に、なぜ自分がそうしているかの理由を把握できるようになりたと思ったかといえば、そうなれば、いろんなことがより早くより豊かに発展できると思ったからだ。
それ自体が目的ではない。
知恵ある他人は、私の大好きなリソースだ。
その大好きなリソースを使って、自分ひとりでは無理なことをやればいいねと、私は思った。
できない!できない!と言うより、その方が楽しいね。
自分を卑下する時間があるならば、他人を褒めろ、である。
そして共に作れ。
その方が楽しい。
早く気が付いてよかった!