話が飛びまくる思考

 

京都に住んでいた頃、あるグラフィックデザイナーをしたり、本を書いたりしているおじさんとお友達になった。

おじさんは、有名なお寺のブレーンもやっていた。


京都にいた頃の私は、まことに社交的で、プライベートでたくさんの人と出会った。

早く言えば、1人で飲み歩いていたのである。


例により、転勤で誰も知らない地域に住んでいた私は、お酒はほとんど飲まなかったが、おしゃべりを楽しむためだけに、木屋町あたりのバーをウロウロして、友達を作った。

祇園祭りの行列が家の前を通る場所にあった私の家は、木屋町から歩いて帰れるところにあった。

私は、観光地ど真ん中に住んでいたのだ。


おじさんと私は、時たま会って、ホテルのカフェやなんかちょっといい料理やさんでご飯を食べたりした。

お寺の庭で話したりもした。

おじさんの話は面白かった。


一応書いておくが、これは色気は全くない話である。

私は、昔から、おじさん達に可愛がられる傾向がある。

なんでも、私は物を食べさせたくなる顔をしているのだという。

特に甘いもの。



そんなこんなで、その頃、会社を辞めて独立することになった私は、会社のロゴをそのおじさんに頼むことにした。


私は「いくらですか?」と、京都市役所の裏にある静かなカフェでおじさんに尋ねた。

おじさんは「いくらなら出せるの?」と聞き返してきた。


私は「3万」と言った。

貯金ゼロで独立しようとしていた私には、お金がなかった。

やりたいことはあったし、取引先はあったし、一年かけて準備はしていたが、お金は持っていなかった。

お金が準備できていないことに、私は何の恐怖も感じていなかった。

不思議なことだが。


おじさんは笑った。

「いいよ、それで」と言い、しばらくのちに、おじさんは、たった3万の仕事とは思えない立派なプレゼンファイルとロゴデータを揃えてくれた。


四つ葉のクローバーという私のオーダーを聞いたおじさんは、なんと、とあるお寺の住職さんに、筆で四つ葉のクローバーを描いてもらい、そこに色をのせてくれていた。


当時の私は、精神的にいっぱいいっぱいで、普通にしか感謝できなかったが、今考えると、ものすごく感謝だ。


後から聞いたことには、おじさんは、普段は企業相手に仕事をしていて、おじさんの作るロゴは桁違いの価格だった。

「僕からのお祝いやね」とおじさんは言った。


3万のロゴに、おじさんは、「それから」と言って、もう一つ別のロゴをつけてくれていた。


「いつか必要になるはずだよ」と。


それは、ショップロゴだった。


最近、私は、この話を思い出し、そして、今はもうどうしているかわからないおじさんはすごかったと思った。


おじさんは10年以上先の話を話していたのである。

なるほどねえ。


私は、そのロゴに使った名前を、昨日、再び登場させることに決めたのだ。


ここまでの話を、昨日、私はふわりと考えた。

そして夕方。


やりたいことは全部やったらいいんや!

好きなことは全部やったらいいんや!


(ちなみにすでに、今の所の「全部」やっている。)


そう思った。


私の話がややこしかったのは、私がやりたいことは全て、仕事だったからだ。

そして、一つ一つが、種類が違う仕事だったからだ。


全て、最初はできなかった。


私は成り行きでフリーランスになったけれど、それはただ形がそうだっただけだ。

やりたいことをやろうとするなら、それしか方法がなかった。

そもそもやりたいことに会社内で許可が出なかったことが、私が会社を辞めた理由だ。


フリーランスなら、やりたいことを誰の許可も取らずに好きにできた。

(協力をお願いするために頭を下げる頻度は、会社員の頃より多い。こちらはPだ。看板しょってるBtoBのやり方ができない。)


そして不思議なことだが、この気づきの後、私は、会社が欲しいなと思った。

自分は個人事業主のままで、会社が欲しい。

会社組織があったら、もっと好きなことができると、私は思った。

資金調達も楽になる。

生み出せる金額が変わる。


誰かに社長をやってもらって、自分は好きことができるようにフリーランスのままでいたい。

自由に動けるように。

浮かぶことを形にできるように。

休憩がたくさん取れるように。


そしてそのあと。


私の目の前に、新しい10年が広がった。


それは、黄色いバスにまっすぐ繋がっている空に続く道だった。


そしてそれから、そこに至るには必要なものがあると、私は思った。

羽根だ。

(メタファー。羽根については1月の日記に書いている。)


私の背中に羽根が必要だ。

私の愛を世界にばらまくために、まずは羽根が必要だ。


羽根は地道な作業の末に誕生すると、私は知っている。


つまり、ここから10年、魔法がかかるその日まで、また再び、私は地道にコツコツやるのである。



そして、そこまで来て、頭に、浪漫飛行という歌が浮かんだ。



夢を見てよ

どんな時にも

全てはそこから始まるはずさ


諦めという名の傘じゃ雨はしのげない



私の思考には歌が混じる。

そして飛びまくる。


まとめるのに、本人、時間がかかる。

自分のランドスケープを把握してから動いていたら、何もできない。


だから、私は把握するのを諦めた。


けれど、たまに、今のこの瞬間みたいに、自分の中で、パチリと絵が見える瞬間がある。

だいたい、唐突に浮かぶ歌が世界をまとめてくれる。


その歌の年代で、その世界は、何歳の自分が影響しているかを、私は知る。

浪漫飛行を聞きまくっていたのは、1314歳の私だ。


長すぎるので続く。