メタファーの世界の中で話をすると、その時は意味がわからないこともある

クリーンランゲージで、メタファーを使って、メタファーの世界の中で話をすると、その時は意味がわからないことがある。

簡単に言うと、例えばなしの物語で話をするが、何を例えているかが本人にもわからないことがあるのだ。

だいたいの場合、最初は現実的な話からやりとりは始まるから、最初は何を例えているかその人にもわかっている。
けれど、途中からは、さっぱりわからなくなることがある。
その例え話そのものを豊かに発展させる作業だけになるからだ。

しかし、しばらく後に、ああこれか〜と、今度は現実的な言葉で意味を理解する。
このしばらく後の期間は、人によりけり。場合によりけり。

経験的には意味がわからない時の方が、そのあとの動きは大きい。
自分がまだ気づいていない何かを情報として含むメタファーだからだ。

なぜこれが起きるかというと、自分発生のメタファーを使ってする会話はただのイメージワークではないからだ。

自分発生のメタファーは、それがどんな突飛なものでも、必ず、何か意味を持つ。
自分の口から出る例えは、その人自身の経験や記憶の中から、それらは生まれているからだ。
その人自身特有の意味を持つ。

例えば、わかりやすいところで説明すると、私が「なんだか猫みたいねえ」というのと、猫嫌いの人が「猫みたいねえ」というのでは意味が違う。

猫は、私にとっては、多くの記憶を持つ動物だ。
子供の頃から家には猫がいた。
私は猫と遊びながら育った。
母の実家にも白い猫がいた。
そして、今、私は白い猫3匹と暮らしている。


猫と私の間には感情を伴うやりとりがある。
毎朝、まるで、もう三日ごはんを食べてません!というように、お腹へったにゃあにゃあにゃあ〜!と走り回る猫に起こされて、私は目を覚ます。
いたずらっ子に、かまってちゃんに、優しい子に、3匹は個性豊かだ。
私は猫を愛おしく思う。
また、道を歩く野良猫さんを可愛く思う。

まだまだ書き続けることができる。

私が「猫」という時、その猫には、これら全ての意味が含まれている。
猫は。
愛おしい
やんちゃ
やっかい
演技派
可愛らしい
マイペース
遊び好き
のんびり
お風呂が好き
期待してはいけない
人の感情に敏感
優しい
友情
自由
気まま

私にとっては、そんな感じのたくさんの意味を含む。
さらに、たくさんの風景や音の記憶を含む。

いったい誰が、私が猫という時、そんなたくさんの意味を持つと把握できるだろう?

猫嫌いの人が「猫」と言う時は、その猫には、また違う体験や記憶が含まれるだろう。
「だから」その人は猫が嫌いなのだから、それは、猫好きと同じことだ。
猫好きは「だから」猫が好きなのだから。
ともかく意味が違う。


そして、例えの言葉で話をする時、その猫には形があって、その猫の話を、猫の話としてしているから、その猫が何を表しているかは、わからないことがあるというわけだ。

以上、前置きの説明。

本題はここから。

私はUFOと葉っぱの話が書きたい。
しかし、とりあえず、前置きで終わり。