わからない言葉。ギリシャ語。

なんと申しましょうか、私はわからないことがある状態が大好きなのねと気づく。
言葉がわからないのが、特に好奇心を引くとも。
知らない言葉は魅惑の香り。

好きなんだねえ、言葉が。。。

それにしても、わかる状態、つまり日本語に訳して書いてある本があるにも関わらず、訳がぴんとこない、種類がありすぎてよくわからんという理由で、英語に手を出し、さらに、英語も訳がわかれていると気づき、ええい大元を読むのが早いと、わからない言葉で書いてある原典に手を伸ばすばか。
英語もまだまだであるからしてなのに、ギリシャ語に手を伸ばすばか。

ギリシャ語は、読めればそれでいい。
話す予定はない。
いろいろ見ていたら、読むだけならば、2年あれば読めるようになると書いてあり。
たった2年なら、勉強するのはやぶさかでない、英語と並べて同時にやれば語彙が2つ一気に増えて一石二鳥!と思った次第。
ギリシャ語を英語に訳すから、多分というか確実に、英語がわからなくて辞書を引くという流れがそこに生まれるはずであり、そうするうちに英語の語彙が増える、、、はず。
そして、訳す時は、丁寧に文章を見るから、日本語を読むより、私は丁寧に読むはずという。


というわけで、また、わからない、わからない、と思う日々のはじまり。

英語が、わからなくても、わからないとは思わなくなったとこなのに。

はっきり言って、わたしには、今、ギリシャ文字は暗号にしか見えないが。
そして、私には、覚えることが他に山のようにあるのだが。

実用性を考えるなら、優先順位は確実に別の言語なのだが、それらの言葉は他にわかる人が周りにいるのでいいことにした。
中国語、韓国語、フランス語、スペイン語。
ギリシャ語は、わかる人が周りにいない。

というわけで、あまりに読めない外国語への好奇心は押さえられなかった。

人生に、ギリシャ語の登場。
思えば、英会話でギリシャ哲学の読みものが課題になったあたりから、ギリシャ語は私を呼んでいた、、、ということにしておこう。

そのうち、プラトンとかホメロスとかも読めるかな?
読めたらいいねえ。。。

気長にいきましょ。
これは急がない。


そして、私は人生には、あえて問題は作らないが、わからないことをあえて自ら作るという気づき。

新しいわからないこと。
ギリシャ語。


そしてやってきた、わからないという幸せ。
ああ幸せ。
わからないって幸せ。