ごきげんよう
最初にブログを立ち上げてから、10年くらい経ちました。
最初のブログは、キラキラ惑星という名前で、次はthree.seven、それから、マダムYのつぶやき、そして現在のタイトルに。
間に、黒ブラ撲滅委員会というブログもあり。
ブログは、私の日記で、私が日記を書くのをやめることはないけれど、今年に入ってから、どのタイミングで日記としてのブログをやめるかをずっと考えてきました。
そして、いったん、ここで、ブログを終了しようと思いました。
また、新しいブログを作るかもしれないけれど、いわば、私の成長記録みたいなものをオープンにするのは、もうここまででいいかな、、、となんとなく。
今までの検証をして、個人によらず再現性があるものをまとめてみようかな、、、とか、なんかいろいろ考えてはおります。
結果が出るまでは、これでいける、とは言えなかったけど。
今年に入ってから、ここ3週間くらいで、自分の中が、ものすごく変化をしています。
20年、続けてやってみるものだ、、、、。
たったひとりの、そう付き合いも長くない、ひとりの80歳くらいのおじいさん、M先生が言ったことを、なぜ、私が信じて採用したのかは、今でも時々不思議だけれど。
そして、今、20年前に起きたことと反対のことが、私に起きていて、あの頃失ったものが、手元に全部戻りつつあります。
向こうからやってくる感じで。
あの頃もたなかったものもおまけにくっついて。
それで、この数週間、感情が非常に忙しいのです。
喜ばしいことですが、不思議なことです。
きょとんとしています。
ここから、最後に書いておきたい日記。
少し話はそれるけれど、つい最近、ある大学時代からの友人とおしゃべりしていた時、人生の分岐点の選択の話をしました。
私に最初に訪れた自分で選択できる分岐点は、多くの人と同じように高校受験で、その時、私にはいくつか選択肢がありました。
私は、同じ中学のほとんどの子がそこに進む近所の公立高校に行きたくありませんでした。
その高校に魅力を感じなかったのと、地元の環境に飽きていたからです。
先生が勧めたのは、英語の内申点だけで推薦で受験ができる英語とか国際コースのある2つの公立高校でした。
私自身が希望したのは、私立の女子高でした。
私立高校は塾に行かないと解けない問題を出してくるとかで、私は塾に行っていなかったのと、偏差値が足りないという理由で、先生は無理だと言いました。
結局、落ちると思うけど受けるのは自由だという話になり、近所の公立を滑りどめに使って、その女子高をうけ、それから7年間、高校大学とそこで過ごしました。
たまに、あの時、英語コースに進んでいたら、今頃こんな英語をやるはめになってなかっただろうにと思うと、私が笑いながらいうと、友人は言いました。
あかん、あかん。
そしたら、出会ってへんやんか。
そやな!ほんまや、あかんわ!と私は言いました。
結局、やる必要があることは、どの道を辿ってもやることになるのだから、その道を通らなければ出会えなかった人達に出会えたこと。
この20年で、私が手に入れた最大のものは、人、だと思ったのでした。
さて。
最初からお付き合いして頂いてる方も何人かおられるのを知っています。
時折いただくファンレター?も嬉しかったです。
私の人生にお付き合い頂いて、ありがとうございました^_^
またどこかで。
では、ごきげんよう。