結びの5年

25歳の私がはじめた自分を使った人体実験は、残すところ、50歳まであと5年になった。
残っている変わらないもので、私が変えたいものは、同時に変えたくないものだ。

20年もあれば、いつでも変えられたのに変えなかったということは、変えたくなかったということ。
または、身に沁みこんでいるもの。
そして、それは、壊滅的な問題を引き起こしてはこなかった要素。

問題があれば、私は対処する。
最初に覚えたのは、問題との付き合い方だし、時間をかけてきたのは、問題対処だ。
問題は常に優先され、ただ変えたいだけのことは、問題がある間は後回しにされる。
緊急性や必要性が低いからだ。


ただ、喜びや幸せといったようなことを考える時、問題、はそれらとは必ずしも直結はしていない。
私の実験は、むしろそちらに関わるが、最初はどうしても問題からやらざるを得なかった。

喜び、幸せの前に、苦痛や悲しみ、そういったことに対処する必要があった。
私は、癒される必要がある状態から、実験をスタートしたからだ。

しかし、ただ喜び、ただ幸せ、に関わることもある。
だけども人は、幸せや喜びがなくとも生きていけるから、それは後回しにされがちになる。

人間は、ご飯が食べれて安全な住居があり、絶望していなければ、喜びや幸せはなくても生存可能だ。
そんな場所は、今でも世界にくさる程ある。

下手もすれば、喜びや幸せ、それらは、欲望として扱われ、時代や場所によっては、まるで悪者みたいになっていることもある。
感情における贅沢品の扱いだ。

悪者を手に入れるのは、はばかられる。
実際のところ、それらは、きっと悪者でも、贅沢品でもないけれど。

というようなことも、時にはある。


私に残っているのは、そのような贅沢品の扱いに関わるものだ。
それくらいしか残っていない。
20年やって解決しない問題は、私は抱えてはいなかった。

贅沢品とまでは言えない喜びや幸せはすでに手にしている。
普通はここで満足する。


しかし、私は実験している。

そして、変わらない変えたい、という時、それらについて、馬鹿正直になってみるしかあるまいよ、、、あと5年しかないぜ、と私は思った。

いい感じに追い詰められてきている。
実験も大詰めだ。


変えたくなかったその理由、変えないことで手に入れ続けてきたもの、変えないことで起きてきたこと。
そして、変えると起きること。


それらを少し眺めてみよう、と決めた。もっと早くしてもいい作業だったが、やらなかったということは、短期でどうにかできることだから、後に回したとも言える。

ちなみに、悟りとかそういうものではない。
私は、それには興味がない。
できた人になること、覚者になることは、私に魅力と喜びを感じさせない。
豊かな感情こそが、私に喜びを感じさせるからだ。
いつも穏やかな心、、、つまんねえ、と思ってしまうのだ。私は。
私は、いろんな感情を楽しみたい。
体がなければ、それは味わえない人間の特権だ。
与えられた特権は、味わいつくしたい。


で。

実験は、最初から、期限はきってあったのだ。
50歳と。


自分が決めた期限は、効果を持つ。
人生についての期限は、人が決めても、あんまり効果はない。


というわけで、私の自分を使った実験は、残りあと5年だ。

起承転結の結びの5年。
どう結論づけるのだろう?