幸せのありか

2019年。
何からはじまるかと思ったら、これから始まった。

これはなんでしょうか?
詩でしょうか?
2019年の私は、詩人なのだろうか?

まあ、いいや。

空から降ってきたから、そのまま。
これは例え。
タイトルがいりますね、、、、。

幸せのありかとかにしとこう。

幸せのありか。
いってみましょ。
詩からスタート。2019年。

今年も気ままに書いてみます。

.........

幸せは別の場所にある。
問題や望みと別の場所に幸せはある。

問題が解決すれば幸せになれる?
必ずしもそうじゃない。
望みが叶えば幸せになれる?
必ずしもそうじゃない。

幸せは別の場所にある。

問題があっても、幸せはちゃんとある。
望みが叶っていなくても、幸せはちゃんとある。

幸せは、問題や望みとは、別の場所にある。


幸せじゃない理由。
それは必ずしも、問題があるからでも望みが叶っていないからでもない。

幸せと問題や望みは、必ずしも結びつかない。
結びついているように見えても。

人は、財宝の前でも不幸を感じられる。
褒め称えられている瞬間に絶望することもできる。
けれど吹きさらしのがれきの前でも幸せを感じられる。

幸せは、形を持たない幻だから。

確かな幸せ。
それは確かな壊れることのない形ある何かではない。
確かな壊れることのない幻だ。

だからこそ、人によって幸せは違う。
人によって感じられたり感じられなかったりする。

問題や望みも、時には幻だが、幸せよりはよほど現実味がある。
時には目や耳で確認することもできる。

幸せは、目には見えず、耳には聞こえない。

幸せがそこにあると知るためには、目に見えず耳に聞こえない何かを感じとる必要がある。
目で見ようとすれば、人は不安になる。
耳で聞こうとすれば、人は不安になる。
幸せは目では見えない。
幸せは耳では聞こえない。

幸せは別の場所にある。
手を伸ばしても届かない。

なぜならそれは、手の内側にあるからだ。
皮膚の内側、体のどこかにあるという、心に存在するからだ。

確かな心の場所は、まだ、誰も知らない。
心、が存在することだけをみなが認めている。
心がほんとのところ、何なのか。
まだ、誰も知らない。


ほんとのところは何かわからない。
どこにあるかもわからない。
心の中。
そこに正体不明の幸せはある。

幸せを探すにはまず、心を見つけ出す必要がある。


他人の心の場所はわからない。
自分の心の場所ならば、誰にでも見つけられる。

自分に聞けば、自分が教えてくれる。
心が胸にあると決めつけてかかるには少し早い。


幸せの鍵を握る心。
その心はどこにある?