おこづかいとプラカード
私が人生はじめてプラカードを作ったのは、小学4年生の頃だ。
ダンボールで作られたプラカードには、おこづかい100円アップ、と書かれていた。
お正月に、神社でお願いはしてみたが、神さまが私の願いを聞いてくれそうな気配は、そこから数ヶ月経った後もなかった。
神さまは、私のおこづかいには興味がないようだった。
最初は母にお願いしてみたが、それも長らくスルーされていた。
私は、たまたまテレビで見たプラカードを真似することにした。
それは、どうやら、何か欲求がある時にする方法のようだったからだ。
私は、台所のテーブルの周りをプラカードを掲げて歩いた。
100円、100円!とシュプレヒコールをあげながら。
母は尋ねた。
100円で何をするのか?と。
私がどう答えたかは記憶にないが、それが採用されなかったことは覚えている。
しかし、翌朝から私には家庭内アルバイトが与えられた。
父の靴を磨けば、50円くれると言うのだ。
私は、せっせと父の靴を磨いた。
そして毎日、50円もらった。
しかし、おこづかいは上がらなかった。
私は気がついていなかった。
月に2日、靴を磨けば、私が欲しい金額は達成できるということを。
私は毎日靴を磨き、手に入れた50円をその日に使い切った。
そして、100円あげて、と訴え続けた。
自分が、最初に望んだ何倍もの金額を手に入れていることに気がつかないまま。
ようするに、お金を手に入れる手段は親に訴える以外にもあるということを、親は教えたわけだが、私は気がついていなかった。
つまりは、お金、が私の望みではなかったのだろう。
それがお金ならば、私は満足したはずだ。
私は、おこづかいを上げてもらうまで、100円.100円と言いつづけた。
あの子供が満たしたかったものは、いったい何だったのだろう?
そしてよく覚えているのは、ついに100円値上がりした時の嬉しさだ。
私はいったい何を満たしたのだろう?
ちなみに、私の靴磨きバイトは、かなりの期間継続した。
おこづかいとは関係なく。
おこづかいアップを願っているからと言って、満たしたい望みはお金とは限らない。
そういうことはちょこちょこあり、本人が何を望んでいるか自覚していないこともちょこちょこあるということは、今の私はよく知っている。
それはきっと、おこづかいアップ以外の方法でも満たせた可能性がある。
望みが何かわかっていれば。
今となっては、それが何かはさっぱりわからないけれど。
過去の願いは、わからない。
おこづかいが100円上がると、何が起きるのか?