小さな奇跡
今日、奇跡が起きたとLINEがきた。
年末、夫の母が体調を壊した。
この人は、私の父と同級生の年齢だが、74歳の今も月に20日は予定がある。
普段、週に5回は、朝からスポーツクラブに通っている。
じっとできない人だ。
大晦日に夫の母の家に行った時、おせちの置いてある部屋でタッパに持って帰るおせちを詰めている私のところに夫の母が来て、実はね、と2日前に彼女が救急車で運ばれたことを告げた。
そのさらに2日前から、腹部に痛みがあり通院していたようだった。
ついに耐えられない痛みが襲って、夫の妹に付き添ってもらって救急車を呼んだらしかった。
確定の検査結果は年明けまでわからないが、お医者さんの見立てでは、難病指定の病気の可能性が高いということだった。
尿管がねじれて腎臓が腫れ上がっていたらしい。
その原因はいくつか考えられるが、その他の要素からおそらくその病気だろう、とお医者さんは言ったようだ。
そして、年明けまでは、きつい痛み止でごまかしいくことになったらしい。
その病気は、痛いだけなのらしい。
ところがね、と彼女は言った。
「昨日の夜、明日は、あなたたちが来ると思ったら痛みが消えたの。
それで今もなんともないの。」
たしかに彼女は、ピンピンしていた。
不思議なのよ、と夫の母は言った。
彼女は、元看護師で、科学的にものを考える。
私は、尿管がねじれたんだったら、なんかの具合で、また、尿管が元に戻ったんちゃいますか?と言った。
勝手にねじれたなら、勝手に戻ることもあるでしょうし。
私の目には、彼女は少し疲れてはいるけれど、どこも悪くないように見えたからだ。
大丈夫ですよ、多分だけど、と私は言った。
治ったんですよ。
それから私は、いかに人体が不思議なものであるか、臓器の話を延々とした。
これまで聞いたことがある、医者が匙を投げたあと自然治癒した人の話や、それから、昨年、二週間入院予定だったのに二泊三日で退院してきてしまった自分の父親のはなしや。
「快くなる話」を延々とした。
私にできるお見舞いはそれくらいだ。
臓器が快くなる話は、彼女にはイメージしやすいと思ったのだ。
彼女は臓器の場所も名前もよく知っているから。
つまり、私は、臓器をメタファーとして使用した。
彼女の希望の力の強化には、それが効果的だと考えからだ。
私が心配したところで、彼女の役には立つまい。
それから、そういえば、父も腎臓だったと気づき、そしてまた彼もじっとできない人だと共通点に気がついた。
それで私は、じっとできない75歳コンビは腎臓に注意ですねと言った。
大丈夫ですよ。
夫の母は、そうかしら、とまだ不安そうだった。
そして、今日、あなたがあたりだ!と夫の母から連絡がきた。
お医者さんがびっくりしていたわ。
奇跡が起きた、治ってた、と。
体はやはり不思議である。