SELF : 自分とつながる

私は、待ちに待っていたワークショップのスライドを眺めていた。

知覚者がテーマのワークショップだ。


私は、それを翻訳しながら、日本語の「自分(Jibun)」の表現は、英語よりもずっと豊かなことに気がついた。


そして、ワクワクしはじめた。


日本語の会話では、私は、という主語は省略することが多いけれど、「何かを感じている自分」については、言葉の数が、英語よりも多い。

私、自分、我、自分のこと、自分自身。

助詞を加えたら、数はさらに増える。


自分が(-Ga

自分を(-Wo

自分に(-Ni


私は、も、自分で、と主語にしないで表現していることがある。

自分で自分に〜する。

自分で自分を〜する。


自分で、自分に、ご褒美を贈る。

Jibun de jibun ni…


自分で、自分を、褒める。

Jibun de jibun wo…



そして、そうか。

日本語ユーザーは、感じてはいる。


ただ、それが行動に結びつきにくいのかもしれないと思った。


それは、「私は(Watashi wa)」(私が(Watashi ga)」、または、「自分は(Jibun wa)」「自分が(Jibun de)」が抜けるからかもしれない。


これらは、動作と自分の意思を繋ぐ言葉だ。

自分の意思と、自分の体の間にある自分だ。

動作の主体でもあり、意思と動作の間で、意思を動作へと媒介するものでもある。

「自分の意思と、自分の動作を繋ぐ自分」だ。(この「繋ぐ自分」は、「感じる自分」と同じこともある)



自分と自分を繋げるには、種類がある。


自分が感じていることや、自分の内側と、自分を繋ぐこともまた、自分と自分を繋ぐことだ。


同時に、自分の行動や外側への表現と、自分を繋ぐこともまた、自分と自分を繋ぐことだ。


私が見てきた限りでは、人生が変わらないと悩む人たちの多くは、自分が感じることとはつながれていた。


悩みを感じているのだから。

古傷、恐れ、または、ワクワク、夢、望み。計画。なんでも。


けれど、悩みから解放されていくため、または、望みを叶えていくための行動とは、うまく繋がれていないことが多かった。


(だから、私は、自分のセッションでは、ほとんどの場合、行動の宿題を出す。やらないから変わらない人が多かったからだ)



何か、少し、見えてきたかもしれない。