ただ続ければいい

昨日、急に、自分が何をすればいいのか、少なくとも一年くらい、何をすればいいのか、すごく、すっきりしたのです。


それは、すでに、私は、もう始めていて、毎日していて、けれど、私の理解が追いついたのが昨日だったのかもしれません。


日曜日の夜に、私は、英語の状態で、自分の口でそれを言語化しました。


それから、昨日一日、日本語で、私は話し続けていました。
昨日は、月一回、実験的な内容をやるシンボリック・モデリングの勉強会でした。
早いもので、昨日が9回目だったらしく、そして、来年も、その回は継続することになりました。

私はシェアし、仲間たちは、私が考えるのをサポートし続けてくれました。
感謝します。

(月1回、平日に新大阪駅近辺でやってますので、もし、参加したい方がいたら、クリーン実験室までご連絡ください。ワークやセッション練習もしますが、毎回、大体、二、三日前に、浮かんだことでやることを決めているので前もって何かをお知らせできるトレーニングではありません。)


昨日は、私が作ったクイズ形式のPROのワークブック資料を使って、PROを理解し、推測するワークをしました。


一部だけシェアすると、こういうの。

一番、議論が盛り上がったものです。





回答用紙もついでに。
よかったら楽しんでみてください。


PROがわからない人は、こちらもついでにどうぞ。
これは、超初心者向け。

ちなみに、これがポイントですが、表中の言葉の主語は全て、「クライアントが」です。
クライアント好きかどうか、クライアント価値を認めるかどうか、それがPROの基本です。

すでに他のコーチング技法を使用されている方は、基準が違うはずなので、そこだけ少しご注意を。


ファシリテーターは、それを文脈から「推測する」必要があります。
メタファー・ランドスケープに入った後、クライアントは、「物」(シンボル)の状態でそれを表現することが度々あります。

このクイズは、その推測の練習。
というか、議論が、推測の練習。

何人かで一緒でやると効果的で面白いと思います。
意見が割れるように、クイズは作ってあります(笑)
正解がない方が勉強になるので。








そのワークブックには、新しい内容はありません。

クイズは、日本語用に私が考えましたが、内容は、まとめただけ。


それは、私が観察して気づいた日本人のファシリテーターが見落とすPROの特徴を、見落とさないためには、学習過程でどういう体験が必要なのかを、私なりに考えて作成したものでした。


超初心者のPROの理解で、PROの理解が止まっているファシリテーターが少なくないということに、私が気づいたからです。


つまり、推測する根拠が薄い。

根拠は、この場合、知識です。

そして、それが、ファシリテーションの難易度を上げていることに。


ファシリテーターがどういう種類の体験をすれば、ファシリテーターはそれを記憶するのか、自分なりに考えたものでした。


その日、私の実験は、楽しいという感情を伴いながら作用したようだったので、まずまずの結果でした。


そこでまず一つ、私は、気づきました。


私自分がファシリテーションするのが好きなことで、やりたいこと。


それは、学習のファシリテーションだということ。


知識を体験的に身につけていくのをトレーニングするのではなく、ファシリテーションしたいのだということ。


学習者自身が、能動的に考え、理解するのを、ファシリテーションしたいのだと。つまり、サポートしたいのだと。


トップダウンではないやり方がしたい、なぜなら、そのファシリテーターが使うのは、自分で考え、自分で選択できるようになる必要がある技法だから。


瞬間的に考える根拠を、たくさんたくさん、身につけておく必要があると、私は考えているのだと気づいたのです。

いえ、気づいていたのだと、気づいたのです。



それから、この土日に私が見たものをシェアしました。

私がシェアし忘れたのは、そこで私が、「日本が勝った!」と、サッカーのワールドカップでドイツに勝ったことを、超得意げにシェアし、ドイツ人のクリーン仲間に「たまには例外もあるよね」と言われた笑い話でした。

私は、「日本が勝った!イェーイ!」ともう一度、言い、みなに大笑いされました。


最近、私は、メタファーを使わなくても英語で笑いが取れるようになり、少しだけ、自分の英語力に満足しています(笑)

前は、メタファーでしか笑いが取れなかったので、日常の出来事で笑いが取れるこれは、目覚ましい進歩。



ああ、話がそれました。


昨日の勉強会、そこでは、最近覚えたNLPのワークもしました。

一回目は、NLPのやり方で。

二回目は、同じことを、クリーンランゲージのやり方で。

何がどう違うのかを、体で、体験するために。


私自身は、違いを、目で見るために。


(ワークは、どちらも、機能しました。そして、違うように機能しました。それぞれに、それぞれの良さがありました。)




そして夕方、駅までの道を歩きながら、私は、「私が早くから気づいていたことで、私が人をサポートできること」を語りました。


すると、話を聞いた人が、「強い口調で、それは、前に言ってたよ」と言いました。


その人は、そしてそれから、「急かすわけじゃないんだけどね、〇〇の翻訳はまだ?英語だとちょっとわかりづらい」と、私が翻訳する係になっている動画の資料はまだかと尋ねてきました。



日曜日の夜に、私が、英語の状態で、自分の口でそれを言語化したのは、「日本語には、中級者向けのテキストがない」ということでした。


私は、サイコアクティブな状態で、それを口にしました。


私が自身がファシリテーションするときに、たまに戸惑うとき、何で戸惑うかをモデリングするセッションの中で。


私が戸惑う理由は、その瞬間、私が、初心者向けのテキストを参照しているからだということが、そこで判明しました。


私は、「私は初心者じゃない、中級者なのに、初心者用のテキストを参照して、それで戸惑う」と、私は言いました。


そしてそれは、私自身が、自分のことではなく気づいていたことでもありました。


そして、セッションの中で、私は、自分のこの数年の体験を参照しないといけない。

自分は初心者じゃないと、はっきり自覚しなくちゃいけない。


そうすれば、もう、戸惑わない、と言いました。


そして、「日本語には、初心者用のテキストしかない」と、もう一度、言いました。
そして、それは誰が悪いわけでもない。
最初に必要だったのは、初心者用のテキストです。
そして、どんなものでもそうですが、初心者用のテキストには全ては書いてありません。



月曜日の夕方、「つまり私は、後一年くらいは、せっせとひたすら翻訳をしよう。それが先だ。初心者の前に、中級者だ。日本にないものはそれだ」と言いました。


そして、「それは、前から言ってる」と笑われたのでした。



まあ、こういうもんです。

言葉にしてても、自分は理由を理解していない。


理由を言語化するまでは。


そして、理由がわかったとき、それは力を持つ。



つまり、私は、今日も、ただ、翻訳すればいいのです。


それから、その中から、日本語で学ぶなら、最初に必要なことをピックアップしてまとめていけばいいのです。


英語の状態なら、資料は20年分あります。

そして、私は、その中から、自分がこの数年で学んだことを、まずはピックアップすれば、それは日本語にできます。

なぜならば、私の体は、日本語でそれらを理解しているはずだから。


私、英語はわからなかったんですから。

頭がわからないものを、体がわかっているはずはない。


言葉は、私の体の中にある。

それから、専門用語は、先に、認知について翻訳された翻訳者のみなさまが助けてくれる。



そして、話はすっきり、シンプルに。


私はただ、昨日までもしていたことを、今日もただ続ければいい。


ただ、それだけ。



そして、私の目の前に、再び、彼らが現れました。

私の宝物の記憶の日々を共に過ごした彼らです。
あと、死ぬほど働いた時期に一緒にいた彼ら。

彼らが理解できる日本語ならば、誰にでも理解できる。

そして、私が彼らのために作るものであれば、そこには愛しかない。
それから、一人前にするには?!どう説明すれば理解できる?!という工夫に、彼らは協力してくれる。




そして、私は、再び、メタファーとなった彼らに教え始めたのです。


真ん中でしかめっつらしているのが私です。
パソコンに向かって、しかめっつらをしながら、作業。
それも、この絵はメタファーとしてちょうどいい。

話はシンプル。
しかめっつらをして、あと一年くらいは、パソコンに向かい続ければ、それでいい。