泣きっ面に毛虫: つづき
その後。
管理人さんが、何度かインターホンを押したが、私は出なかった。
完璧に、自分の怒りが収まっているのが確認できるまで。
夕方、歯医者さんに行く用事があったので、私は、管理人室に寄った。
そして、管理人さんと少し話をした。
私は、「怒ってごめんねと、管理会社の人に謝っておいてください」と笑いながら言った。
そして「今後ともよろしくお願いします。次は私も立ち会います」と言って、管理人室を出た。
歯医者さんにつくと、私の手を見た歯医者さんが「それはどうしたの?」と尋ねてきた。
私は、「毛虫に刺されて。痛みどめは飲んだから大丈夫かなと思って」と言った。
歯医者さんは「それは多分まだ腫れてくるから、皮膚科に行きなさい」と言った。
歯の治療が終わると、確かに、左手の中指の腫れが、手の甲まで広がりはじめていた。
それで私は、歯医者から一番近い皮膚科を探して歩いていった。
あと5分で診察受付終了、すべりこみだった。
待合室でキョロキョロしながら待っていた時、私の目にサインが飛びこんできた。
それは、私が好きなM1チャンピオンのお笑い芸人さんのサインだった。
近所に住んでいるという話を聞いたことはある。
(私が住んでいる地域は、割とお笑い芸人さんが住んでいる。)
お笑い好きの私は、それだけでテンションが上がり、毛虫にさされたことはとてもいいことのような気がした。
バラが散々なことにならなければ、私はバラを触らず、毛虫にも刺されなかったので、それもまた、いいことのような気すらした。
(*これを、過去の物語の再構築といいます。出来事は変わらない。出来事の意味付けが変わる。この意味付けされた物語が、いわゆる過去です。)
その後、皮膚科の看護士さんや、お医者さんに、まあ腫れあがってかわいそうにと大事にされ、皮膚科を出るころには、私はすっかり上機嫌になっていた。
はい!
癒し完了。
そして、ネタがいっちょあがり。
私は、割と繊細だ。
しかし、たくましい。
私のたくましさは、傷つかないたくましさではなく、この立ち上がりの速さにあると思われる。
そしてはっきり言い切るが、これは、私の性格ではない。
私の長きに渡るトレーニングの賜物だ。
だから、私は言える。
誰でもできるよ、と。
仕組みがある。
そこにある違いは、どんな自分が好きかという好みの差だと、最近は思う。
私は、今は、もう、傷ついている自分が好きではない。
はっきり言って、傷ついている自分は不愉快だ。
傷ついている自分は、判断も間違う。
私には、傷ついている自分は、不利益しか与えない。
だから、傷ついたあとは、傷ついている時間をのばさない努力に励む。
傷を広げないよう、細心の注意を払う。
差し出される手助けは、ありがたく受け取る。
そして、笑いのネタに仕上げる。
次に私が今日を語る時、今日は「怒りあり、涙あり、笑いありの緩急ついた面白い一日」というラベルで語られる。
これができるようになってよかったことは、癒せることがわかっているので、いくらでも傷つけることだ。
傷つかないように怯えるより、傷を治しながら進む方が性にあっているのだと思う。
これもまた、好みの話の気がする。
自分の人生上に紡ぐ物語の種類の好み。
物語には正解はなく、ただそこにあるのは、好みなのではないかと、最近は思う。
(だから、なかなか変わるのが難しいこともあるのだと思われる。好きを変えるのは、なかなか、、、ね。)