話は大詰め。誰にもわからない可能性はあるけど、クリーンな質問使って思考してるので、ご参考までに公開

 それでだ。続き。


何をもってして、「優しくいる」ことになるのかという命題が生まれた。


この「優しくいる」は、どんな「優しくいる」?



頭に浮かぶは英単語。


be gentle.

またはkind

またはtender

またはsomething like…



わからない時は、いつものように、質問してみるのである。


(クリーンな質問での問答を、自分でやる時は、書くのをお勧めいたします。頭の中だけでやると、こんがらがる。)



「強くいる」が同時に存在する「優しくいる」はどんな「優しくいる」?



私の頭の中に、最初に、祖父の顔が浮かび、それから、私は、数年前の台風のあと、家の前の遊歩道を歩いた時に見た一本の木を思い出した。


その年、強い風で、電信柱まで薙ぎ倒した台風で、遊歩道の木がたくさん折れた。

道は倒れた木で塞がっていた。


太い木もたくさん折れていた中。

サルスベリと、まだ細い桜の木は、台風の痕を感じさせなかった。

ただ、真っ直ぐに立っていた。


強さなどまったく感じさせないそれらの木は、風には強かった。

きっと細かったから、風に合わせてしなることができたのだろう。


見た目には弱く見える細い木が強かった。



そして、その次の春。

太い桜の木たちが花を咲かせない中、その細い桜の木は、ほころんで、静かに春を知らせた。

それは、見る人の心をなごませた。

夏が来ると、サルスベリも花をつけた。

それは、見る人の心をなごませた。


そういう強いと、そういう優しい。

そういうの、と、私は思った。


そう考えると、胸がぽかぽかした。



そして、サルスベリと桜。そういう強いと優しい。

そして、そういう強くて優しいサルスベリと桜の時、サルスベリと桜はどこ?



私の胸の真ん中が燃えるように熱い、と、私は思った。



その熱いについて、他に何かある?


桜とサルスベリは、炎の中でも咲いている。

桜とサルスベリは、風だけではなく、火にも強い。



そして、火。すると、桜とサルスベリに何か起きる?


グングンと枝を伸ばす。

そして、遠くまで花びらを届けることができる。

風を味方に。

火を味方に。

しなやかに。



ここまで答えが出て、しばらく私は別のことをした。仕事。


それから戻ってきて、もう一度、はじめから読んだ。


頭の中に、ユーカリの木が浮かんだ。

父いわく、私の名前の由来だ。

母いわく、別のことを言う。

私の名前の由来は、諸説ある。

どれが本当か、もう二人とも覚えてないだろうから、永遠に謎。



そして、これらと、桜とサルスベリに何か関係はある?


ようするに、植物のように。


吹き荒ぶ風にも、周りの炎にも、倒れず、そこに適応して、しなやかに、花を咲かせ、花びらで人の心を温める。


たおやかに。

しなやかに。

力を入れるのではなく、力を抜いて、時代の風に、時代の炎に適応する。


そして、いくら周りの大きな木が倒れようとも、そこに立って、いい季節が来たら花を咲かせ、道ゆく人に、再生と希望を知らせる。


折れないことが重要だ。

抗わないこと、争わないこと、ただしなやかに風に合わせる。


守る力はなくとも、花びらを撒くことはできる。


風に乗ってどこまでもどこまでも、花びらなら飛んでいける。

強い風が吹いたなら、より遠くまで。

嵐にも舞う。


疲れた人の手のひらにのる小さな花びら一枚。


そういう優しい。

そういう強い。



そして、それらがそのようであると、次に何か起きる?



「わたし」が、現れる。

新しい「わたし」。

見たことがない「わたし」。


まだ、誰も知らない「わたし」。



そして、その「わたし」はどこ?


胸の真ん中。

とても熱い。

その胸の真ん中と、外側の見えてる私が同じになる。

もう、何にも悩まない。

風も炎も、「わたし」にはネガティブに影響しないと知っているから。



そして、その「わたし」が現れると、桜には何か起きる?


指先まで枝が伸びる。


そして、「わたし」、桜、の時、サルスベリには何か起きる?


体中に広がって、花が咲く。

そして、季節が消えて、桜とサルスベリは一年中、花が咲くようになる。


そして、次に何が起きる?


一年中が春になる。

いつも希望に満ちてる。

いつも温かい。

風は春風。

火は強すぎない。ぬくもり。


「わたし」は、「私」になる。