祖父の命日を忘れていた話
これはすごいことが起きた。
今日は、このブログにちょいちょい登場するおじいちゃん、私の祖父の命日だ。
けれど、私は、先ほど、母からそのことを聞くまで、今日が祖父の命日だということを忘れており、なおかつ、思い出した後も、毎回胸に沸いていた少しばかりの悲しさが浮かばなかった。
すごいこと。
たまたま、その少し前に、私の頭には突然、パチンコ台の中古を探そうというアイデアが浮かんだ。それでAmazonで、パチンコ台 中古と検索したら、5万円くらいであったので、母に、「パチンコ台はそんなに高くない」というLINEを送った。
パチンコ台は、やがて実家に必要になるだろうと思ったのだ。父のために。
そうしたら、母から、「しばらくはまだ必要ないけれど、今日はおじいちゃんの命日だから、(このLINEは)いい供養になったわね。お父さんは、おじいちゃんの命日ということは忘れてるけど」と返ってきた。
それで、あ、そうか、祖父の命日だった!となったのだ。祖父もまた、パチンコが好きだった。私は、5歳にして、すでにパチンコを打っていた。(今なら考えられないが、当時はパチンコ屋さんの中には、子供がウロウロしていた。)
現在、私は、ギャンブルはお正月の花札を除いては一切しない。好きじゃない。
いや、多分、血筋を考えると、ギャンブラーの素質は十分だと思うので、やらないというのが正しいかもしれない。
ともあれ、私は、祖父の命日を忘れていたことにびっくりし、思い出しても悲しくないことにびっくりした。
何かが起きたんだな、よくわからんけどと思った。
というわけで、記録しておく。