日本人に伝わる例えとしては、ドラえもんの秘密道具。

 

花びら、葉っぱ。


今年頭から作りあげられつつある私のメタファーランドスケープ(象徴的な内的心象世界)に登場するのは、一枚、二枚で数えられる植物達だ。

そこに、自然界にある火や風、水が絡む。


花びらや葉っぱは、自分の手元を離れることが前提としてある。

誰かの元へ。



葉っぱについては、それが何かは、一部分は把握している。

新しく登場した、桜とサルスベリの花びらが、何を意味するかを私は知らない。


シンボルの様子から、自分の手が生み出す何かであろうという予測は立つ。


新しく登場したのだから、そりゃわからん。

まだここにはない何かなのである。


現実に現れるのをしばし待つしかない。



さて。


先日、私が公開した思考は、持っている何かに、持っている何かが作用して、新しい何かを生み出していくプロセスだ。


なぜに私が質問を使ったかというと、メタファーやシンボル状態にしてしまえば関係させられることでも、普通の概念状態では、お互いに作用しあうことができないことがあるからだ。


実写のドラマでは表現できなくて、アニメやCGの世界では表現できるものがあるのと似たような感じ。


アニメやCGは、人間のイメージを具現化したもので、メタファーやシンボルもそんな感じ。


実写では、炎の中に生きたまま人間を立たせることはできないが、アニメやCGなら、炎の中に立つ人間が、炎からパワーを得て、炎と共に燃え上がるのが描ける。


この場合、炎が人間に作用している。


この、炎が、何かの象徴で、自分の常識の範囲の概念としては、とても人間には作用したり共存したりできそうにもないと思えるものを意味していたら、概念の状態で思考する時には、それらを結びつけて考えることができない。


しかし、炎という象徴でならば、話は可能になる。


つまり、私が、質問を使って思考する時に求める効果は、自分の可能性を最大限まで広げて考えることだ。


そして、何かを生み出すことだ。


これは、妄想遊びよりはるかに面白い。


なぜなら、生み出された世界観は、そのまんま、現実に跳ね返ってくるからだ。



簡単なわかりやすい例で、ドラえもん。


ドラえもんの秘密道具のいくつかは、すでに現実化している。

私が個人的に待っているのは、タケコプター!

ドローンの登場で可能性がでてきたそれは、確実に私の老後の暮らしを左右する(笑)



あんなこといいな、できたらいいな。


これは、つまり、

「あなたは何が起きれば好いのでしょう?」だ。



自分の人生に使えるドラえもんの秘密道具のようなものを、誰でもみんな持っているし、生み出すことができる。


そしてそれは、自分の人生に現実化して現れる。


全ての人が持つ四次元ポケットに、その人を繋ぐのが、質問たちだ。


そして、未来の世界につながるのび太くんの机の引き出しに誘う質問が、「あなたは、何が起きれば好いのでしょう?」だ。



ドラえもんの秘密道具が妄想ではなかったように、自らが生み出すイメージの世界も、妄想ではない。


メタファーやシンボルは、いわば、別の次元で生きているもう一つの自分の人生みたいなものだ。


それは、今、ここに生きている自分と相互作用している。


あちら変われば、こちらが変わり、こちら変われば、あちらも変わる。



ほんとだよ。



ドラえもんの秘密道具を「そんなもん、無理に決まってる」と思わず、「欲しい!」と思った人々が、大人になって、数々のグッズを生み出していっているように。


いつでも。


信じたものが救われる。


のである。


ほんとだよ。


まあ、何を信じるかにもよるので、信じることがいつもいい効果があるとは限らないけれど。