トラウマが生み出したリソース。

 


クリーンな質問を覚えるメリットのひとつは、それが自分にも使えることだ。

質問を覚えた後、何かを考える時、私は、どうしようかな?とは考えなくなった。


ただ、尋ねるようになった。

質問はいくつかあり、使いわける。


なぜ、考えずに質問するか、その理由は今から書く。



今朝、私は、自分が運営している通販サイトに昨日入った注文の発送準備をしていた。


その準備中、発送ラベルを箱に貼っている時、私の頭の中に、突然、「家の台所で焼いているパウンドケーキを売り出してみたら、それが一か月200個以上売れるヒットになり、やがて製菓会社から声がかかって大成功した専業主婦だった人の話」が浮かんだ。


その人は、自分の周りに配っていたお菓子に、やがて友達からも注文が入るようになり、それで、ならばもっと配ろう、そうすればもっと沢山の人を喜ばせることができると思ったのだそうだ。


私は、その話を、何で読んだかは忘れたが、何かで読んでいた。



私は、その時点で、昨日、自分が日記の最後に書いた質問を思い出した。


そして、私の扉が開いた「楽園の噴水から流れ出る川の水」のビジネスモデルはこれだ!と思った。

昨日まではなかった「川」が、私のメタファーランドスケープに生まれていることに、私は気がついた。


私は、発送ラベルを、リビングのカウンターの上で貼っていた。

そして、私が今、貼っているラベルの中に入っているものも、パウンドケーキと同じだなと思った。


私と友人のひとりは、最初、自分たちだけのためにカードを作るつもりだった。

しかし、他に欲しいという人が現れたので、売ることにした。


それはもう5年前の話だ。


今、カードは二種類になり、さらに、それを使って遊ぶゲームを作ろうとしている。

ゲームは、3人の友人がすでに仲間に入ってる。


その最初にしたテストプレイをSNSにあげたら、そのカード絡みの投稿では過去最高のずば抜けた数のページビューがついた。


そして、その投稿をした日から、カードがまた売れ始めた。



私は思った。


ああ、そうか。

噴き出す泉を概念的な単語に変換するなら、そのひとつは、友情。

そして、もうひとつは、遊び心。

希望。

私の愛。


それを、自分が人に分ける気になった時、泉は川になる。


そして、川の水は、誰でも飲める。



「友情と遊び心、希望と愛に飢えた人、それを求める人には誰にでも。」


私のビジネスモデルはこれだ。

楽園から流れ出る川に、何が流れるかは、毎回変わるかもしれない。

けれど、どれも、源は同じ。


私の胸にある楽園に湧く泉だ。



私はジーザスと違って永遠の命は配れない。

聖書の中に登場する泉や川にあるのは、命の水だ。

そんな大層なものは配れない。


けれど、愛と希望、友情と遊び心なら、川に流すことはできる。

ただ流す。流れ出るままに。

何もそれを堰き止めるものはない。

楽園に、障害はない。


私の胸の楽園に余りまくっていて、これは、死ぬまで枯れることはないだろうから。



時間がかかったけれど、ビジネスモデルができた!


柔らかなビジネスモデル。

私自身のビジネスモデル。


そのビジネスモデルの中の、どのように配るかの部分。



トラウマが関係していたのが、ビジネスモデルだとは、昨日の私は気づいていなかった。



私が、質問する理由は、自分が気づいていない可能性の中からも答えを引っ張ってくるためだ。

自分が気づいていることは、可能性の中で、もっとも小さい可能性にすぎない。


だから。



で、また質問する。


「そして、全てがこのようである時、他に何かある?」