緑の葉っぱ
最近、あるところに、「これは赤ちゃんのよちよち歩きみたいなもんだけど、一歩ずつ頑張る」と、今から始める活動のことを報告した。
そうしたら、おめでとう!と祝福してもらった。
意外なくらいたくさん。
それで私は、自分は、よちよち歩きを始めたのではない、ジャンプした!と気がついた。
そしてそれから、これは、私にしては、実に思い切った行動だったと気がついた。
誰にも相談しなかった。
ひとりで決めた。
決めてから、内容について、相談はしたり、アドバイスをもらったりはした。
私は慎重に慎重を期して、ここまで静かに、ほとんど耐えるといっても過言ではないくらい、息を潜めていた。
耐えた。ただ時間が経つのを。
私は隠れていたと言っていい。
(これには、私自身が抱えていたトラウマも関係していたということに気がついたことは、どこかに書いた。)
私は、うまくいかない時の諦めは非常に早いが、このことについてだけは、諦めるという選択肢はなかった。
好きだったからだ。
どれくらい好きかというと、母が、私の結婚した家族に協力してやってくれと頭を下げたくらい、好きらしい。
小さな頃から、私の好きを観察してきた人が、好きだと認定しているなら、間違いなく特別に好きなのだろう。
(私は好きなものが多いので、どれが特別な好きか、自分では見分けがつきにくい。)
そして、小さな一歩を踏み出した。
小さなジャンプをはじめた?か。
ラジオ体操が浮かんじゃった(笑)
正確には、私は、「小さな葉っぱ」を作りはじめた。
1月のどこかに書いているが、私のメタファーによる未来予知によれば、葉っぱがたくさん集まると、そこに何らかの魔法がかかり、葉っぱは、羽根に化けるのだ。
メタファーは嘘をつかない。
これも後から気がついたが、たくさんの葉っぱを集めるのに、私が選んだのは、自分が好きで苦労なく楽しく続けられる作業だった。
ブログだ。
記事を1本書く=葉っぱ1枚。
今は、葉っぱが2枚。
両手に1枚ずつ葉っぱを持って、ぴょんぴょんその場飛びが限界の枚数である。
羽根で飛んでない(笑)
自分でジャンプしてる(笑)
いつか、葉っぱには魔法がかかる。
その魔法が何を意味するのかを、私はまだ知らない。
今は、待つ時間、耐える時間が終わったことを感じながら、葉っぱ2枚を持って、ぴょんぴょんジャンプしてみるのみだ。
おめでとうだって、と。
それまた、楽しい。
そして、私は、とても幸せで温かな気持ちで、3枚めの葉っぱのことを考えはじめた。