働くトラウマ
最近、しみじみトラウマから解放されるっちゃすごい効果があるなあと感じている。
しかも、ご本人はすっかり忘れていた(というか、おそらくは意識上に浮上しないように蓋がしてあった)、ホンモノのトラウマ。
メタファーでは、それは、私の真ん中にあった鉄の扉の向こうにあった。扉の入り口には、見張りまで立っていて、扉が開かないように厳重警備されていた。
深いものであればあるほど、そういう場合が多い。
言葉で語れる心の傷は、まだ、浅いらしい。
自分ではそう思えなくても。
人は、そういうものでも、メタファーでならば語れる。
そのトラウマ自体は、ちょっと前に書いているので、省略。
そして、私は、直接的には、そのトラウマには働きかけてはいない。
私がしたことは、人の力を借りて、自分の望みを発展させる作業だ。
その途中で、鉄の扉とガードマンが登場し、何これ?となったが、時間切れで、後は自分でやっといて状態で作業は終わった。
その作業をした数ヶ月後、あ!と私は突然気づき、そして自由になった。
望む力はすごいなあと思った。
望む力は、私を癒しはしなかった。
ただ、私に、元凶を手放させた。
それは、今、現実にはないのだから、手放してしまえば癒す必要さえない。
残していたのは、セオリー通り、それが私の役には立っていたからだろう。
ヘルシーな方法を生み出してはいなくても。
そして、望みが変わった時、今までは多少なりとも私の役に立ってきたそのトラウマは、もう必要なくなり、むしろ、私の邪魔になり始めたのだと思う。
体の中に鉄の扉とガードマンなんてあったら、窮屈でしゃあない。
トラウマといえども自分自身だ。
本気で私を苦しめるつもりはあるまい。
なぜなら、私は私が大好きだからだ。
好きなものを苦しめたいわけがない。
例え、それがトラウマでもね。
トラウマは、誰かや何か別のものではない。
体の中にある限り、それは、自分だ。
(だから、よく言われる、自分で癒せるという理屈が成立する。自分以外の思考回路が助けになることが多いから、サポートがいることが多いけれど。)
この場合、今まで、それは、私を守る役目をしてきてくれた。
それは、私の行動を制御し、必要以上に人が自分を好きにならないように私を振舞わせた。
だって、私に危害を加えたのが、私のことを異常に好きな人たちだったからである。
私は、人が自分を好きになることが怖かった。
自分でいうけど、割と私は陽気な愛されキャラである。
人にも親切にする。
割と優しい。情にも厚い。
人との信頼関係は大事にする。
大人になった後、人間関係の構築にはそんなに苦労はしていない。
どっちかといえば、コミュニケーションは得意だ。(だから、仕事にしてる。)
普通にしていて、直接会う人から嫌われることは、まずない。
陰口を叩かれることは普通にある。
けれど、ほとんどの場合、ほとんど付き合いがない人や会ったことがない人からだ。
笑顔でいる努力、人に寛容である努力、こざっぱりと清潔な身なりでいる努力はしている。
しかし、自分を取り繕う必要はなかった。
自分と仲良くなりたい人も少なくなかった。
だから、私は選べた。
安全だと感じられる人を。
これは遺伝子。
おじいちゃん、ありがとう。
あなたが私にくれたものです。
しかしながら、片方では、私は、自分はも〜っと愛され人気を得る必要があることを職業として選び、片方では、愛されないよう人気が出すぎないよう制御するという、トラウマを持ってる人がやりがちな、まるで見本のようなことを、軽く20年ほど続けていた。
ということに、私は気づいた。
ロスしたわ〜、もう。
この間、いろんな人が、なんでそうなのか?と不思議がった。
誰も、私のトラウマは知らなかった。
本人、なかったことにして生きていたわけなので、他人にわかるわけがない。
それに、私には、表面に浮上していて、現実により関係している急ぎ案件がほかにあった。
そっちは、自分ひとりだけの話でもなく、家族というチームの話だったので時間がかかり、そして、それは数年前に片付いた。
そして、現れたトラウマの感覚は、すんなり私の元をさり、私は、このように語れるようになった。
語れればしめたものだ。
どのように語るか、は、あるけれど、それは、どのように語ればいいかは、長年の勉強のおかげで知っている。
注意するべきは、ありもしないトラウマを、あるように語らないことだけだ。
あるように語れば、それは、再び、新しいトラウマとして、今度は意識に刻みつけられる。
そして、私は、解決した!という話を手当たり次第に関係者に伝えて回った。
なぜか?
私を追い込むためである。
私がやらない口実を、私自身から奪うため(笑)
私はめんどくさがりだ。
追い詰めなきゃ、やらない(笑)
トラウマに、もうひと働きしていただこう。
今度は、私を守るためではなく、私の願いを叶えるために。
過去に存在した理由として。
あと、ブログのネタとして(笑)
転んだら、何かネタを拾って起き上がり、最後は笑いに変える。
それが、関西人としての、私の矜持である。
たくましく、ちゃっかり、面白ければ、それでいい。
さあ、ガードマンは引退し、鉄の扉は開かれた。
安全な場所を飛び出して、自由な冒険だ。