真逆のことが似たような効果をもたらす話

最近の私は、片方では、思い込まない、決めつけない、妄想しないことが人の思考に創造性や自由を与える効果について書いている。



もう片方では、思い込むこと、決めつけることを利用して、人の思考に創造性や自由や妄想を生み出し、他者とその思い込みや決めつけや妄想を共に楽しむものを作り出そうとしている。

「あなた、こうでしょ」と決めつけて遊ぶゲーム。



矛盾するような、しないような。

真逆のことを同時に進める自分が面白い。


そして、真逆のことが、似たような効果を生むようなのが面白い。


してみると、思い込みや決めつけや妄想が、人から癒しを奪うわけでもないということだな、と思ったりもしている。



そして、後者のゲームの方で使う言葉が「これはギリギリ、許されるか否か?」と、自身の信仰する宗教で許される範囲の表現かどうかを探る感じが、個人的にはスリリングで面白い。


意外とまじめなような、そうではないような。(多分、相対評価的にはまじめではない。)


趣旨としては、人の喜びなんで、信仰とはずれてはいない。

言葉ってね。。。

たまに、めんどくさい。


まあ、だから、面白い。


とりあえず、気になるとこは、生き字引の教会のおっちゃんに、確認しとこう、念のため(笑)


(おっちゃんは、私が、「これをブログに書いてん!」と話す内容を聞いては、「書いてしまいましたか、それ(自由すぎる解釈)をブログに」と、たまにため息をついている(笑))