カレンダー。この世の終わりまであるもの。
私が、これ、カレンダーのことかな?と思っている聖書の中の節がある。
「私ははじめから終わりまで、あなた方と共にいる」とか、「私は次の世もあなた方と共にいる」とかジーザスが言う部分だ。
(私は、聖書を自由に読むというスタンスを貫き続けている。その方が楽しいからだ。笑いながら聖書を読む人は珍しいらしい。面白ければ笑う。ちなみに、私自身が感じている聖書の世界の雰囲気は、ALIVEバイブル(AB版)という聖書が一番近い。)
クリスチャンであろうがなかろうが、現在、この世界のほとんどは、ジーザスの誕生日(と言われている)日にちを基準にできている暦で動いている。
国によって、違う暦を持つ国も一部あるが、インターネットの中は100%そうだ。
日にちを刻むものは、ジーザスに由来している。
世界制覇しているに近い。
ジーザスが生まれた時には、西暦はなかった。
だとすると、西暦が生まれた時に、ジーザスは再び世にやってきたという考え方もできる。
そこで、すでに、聖書が言う次の世は始まったんじゃないか?と、思う時がある。
日にちを支配してるってすごいこと。
日本は今でもそうだけれど、歴史上、年号は、その国の王様や支配者が変わると変わることが多い。
聖書の中や、讃美歌で、ジーザスは王と称されるが、暦においては、確かに世界の王だ。
日にちは、確かに、人の世の終わりまであるだろうし、西暦がなくなる気配は今のところない。
とするならば、カレンダーに刻まれる一日一日は、愛だということだな、気の長い話ではあるが、西暦が始まったその日から、世界は、地上に天国を招き入れるために、少しずつ、いい方向に向かうための時を刻んでいるわけだな、と思ったりする。
物理的なものが絡むから、長い長い長い長い時をかけて。
ならば、西暦のカレンダーが存在すること、それそのものが、大きな希望を表しているということかもしれないなと。
時そのものならば、いつでも、誰のそばにもいられる。