通り過ぎる
最近、「あなた、もうパンデミックが終わってるわね?」と言われた。
ここ最近、人と会う機会が多いが、会った人から「あなたを見てると、ほっとした」と何度か言われた。
その内数人には、話している間に体が緩んだと言われた。
なんでも、気づいたことには、その人たちには、体がずっと緊張状態にあったということらしい。
それで考えてみた。
確かに、最近、私は、たまに、マスクをするのを忘れて家から1分のコンビニに行ってしまい、入った瞬間に口を押さえて慌ててマスクを買うことが、たまにある。
それは、最近までなかった。
どうやら、私の体は、外を危険だとは認識しなくなったようだ。
マスクをしなくちゃいけないことは頭ではわかっているので、人がいるところやお店ではつける。
確かに、去年の夏は欲しくなかった新しい夏服が、今年は欲しい。
気がついたら通販サイトを見ていたり、百貨店に行こうかなと考えていたりする。
確かに、毎年お正月に夫と行くなんばグランド花月に今年のお正月には行けなかったので、夏休みに予約をした。
(なんと、前から二列目だった。
そんないい場所は、取れたことがない。しかも千鳥が出る。)
私は、とっぱなにしんどい思いをしたので、用心深く過ごしてきたが、そうね、確かに、去年の夏とは、私は少し違うかもしれない。
ちなみに、私の夫は、この一年、私が知る限りは、一日も、精神的にはパンデミックの中にいなかった。
彼は行動は人に合わせていたが、ずうっと平和の中にいた。
よくも悪くも平時しかない稀有な人に見えた。
彼はニュースに一切振り回されなかった。
彼が一番気にかけているニュースは、この一年も、いつもと変わらず、天気予報だった。
(彼は建築の仕事をしている。)
最近、彼は落ち込んでいたが、それは単身赴任が一年延びたという彼個人的な話からだった。
私は、個人主義は素晴らしいなと思った。
この世の片隅に暮らす名もなき夫婦の昨夜の会話は、夏休みに見に行くお笑いに、中川家が出てないという話だった。
夫には言わなかったが、私は、7月に、ひとりで、中川家が出る舞台は見に行く。すみません。
確かに、パンデミックは終わったのかもしれない。私の中で。
まあまた、病床が逼迫しそうになることがあるなら、行動は合わせるけれど。
それでもう一度、自分の中を確認してみたら、ああ、インフルエンザや風邪やRSウイルスみたいに、もうそこにあるものとして、自分は新しいウイルスを受け入れたなと気がついた。
ゼロにはならんやろと思ってるねと。
ワクチンで時間稼ぎしている間に、早く弱毒化するか、重症化を防ぐ町医者でも処方できる薬ができるといいけどなあ。
そして、それから、たまたま、私の目に入ったのは、コンゴではしかが大流行中、ワクチンを寄付してくださいという国境なき医師団のニュースだった。
https://www.msf.or.jp/news/detail/headline/cod20200522to.html
私は、そこに癒しが与えられますようにとお祈りして、それから、ささやかながら120回分のワクチンを寄付した。
パンデミックで、ワクチンがない大変さを我が事として経験した世界中の人が、今までより多く、安全性がすでに長きに渡って確認されていて、先進国なら治せる病気のワクチンを、それが手に入らない国の人に分けるようになるといいなと思った。
それから思った。
世界はこれからより豊かになる。
毎日毎日、いい方向に向かって進んでいる。
通り過ぎるしかないところは、通るしかないけれど。
私は、そう信じている。
事実としても、スペイン風邪の時に発生したたくさんの餓死者を出さないように、それから100年後の世界は頑張った。
ワクチンを、自分の国だけの分だけではなく他の国にも分けようとしてる。
ちゃんと、富を分配しようという努力はされている。
それは、100年前にはなかったものだ。
というようなことを考えて、それから、やっぱり、私は、通り過ぎるしかなかったところは、通り過ぎたと判断してんのかもなと思った。