トラウマの変容。次があるよ。

 おう、もうひとつ、あったわ。

開いた扉の奥から、隠してあった理由がぼろぼろと登場する。


私は、殺されかけたことがある。

包丁で刺されかけた。

ちょっとだけ、怪我した。

犯罪にしなかったのは、私の温情だ。

相手は、一瞬、頭おかしくなっただけで、すぐ人生無駄にできないと正気に返ったから。


若い頃、「いつか男の人に刺されてしまうのではないかと心配していた。早く結婚してくれてよかった」と、母は言ったが、私は、結婚したために、刺し殺されそうになるはめになった。


私が、「別れてくれないなら殺してくれ」と言ったからだ。


その瞬間、私は妙に冷静で、ああ死ぬなと思った。

これが走馬灯というやつかあというビジョンが、頭の中を駆け巡ったからだ。


私は、28歳だった。



その数年後、付き合っていた彼氏は、私が別れてくれと言ったら、夜中、私が住んでいたマンションの廊下で、叫んで騒いだ。

私は無視してドアを開けなかった。

警察にも通報しなかった。

ほっときゃ帰ると思ったからだ。



この頃、私の十代の頃からの友人二人は、毎週電話してきていた。

「週間私の恋愛模様」が、彼女達曰く、ドラマより面白かったからだ。


「来週も楽しみにしてる!」と、彼女たちはいつも最後に言った。

今、考えると、心配して様子を見てくれていたのかもしれない。


離婚後の私のプライベートが、あまりにも無茶苦茶だったからだ。

ご本人が、遊ぶ!と決めていたのもあるが、今まで気づいていなかったが、そこには、刺し殺されそうになったことが、関係していたかもしれない。

傷ついている人は、時に、わけのわからない、幸せにはつながらない行動をしがちである。



再婚が決まった時、「週間私の恋愛模様」を楽しんでいた2人は、よかったと言って、涙ぐんだ。

やっぱり、楽しむふりをして(楽しそうでもあったが)心配して見張っていたのかもしれない。


他にも、よかった!と言った人がたくさんいた。

はっきり言って、本人より周りが喜んでいた。



私が夫に決めた理由の一つは、万が一別れることになっても、間違えても、この人は私を刺そうしたり、廊下で騒いだりしないと思ったからだ。

それは、とても大事なことだ。



もしかしたら、夫が私をとても大事にして、私に自由に夢を追わせ続けてくれたこの10年間が、ガードマン(一つ前参照)の引退につながってるかもしれないなと、ふと、思った。


私が安心したこと。

現実に、ガードマンがいるなら、自分の中にガードマンは必要ない。


この新しいガードマンは、おそらく、私のことを命がけで守る。

けれど、強くはない。多分、私の方が強い。

だから、私は、ガードマンが私のために命をかけたりしないように危ないことはしない。


あと、ジーザスもおるしな。



以前の私の守りが剛で鉄の扉ならば、私の新しい守りは、柔和で楽園の扉だ。

扉の向こうにあるものは、もうトラウマじゃない。

扉の向こうにあるものは、例えていうなら、楽園の真ん中にある、私が死ぬまで枯れることのない噴き出し続ける泉だ。



これはいわば、私の中のリフォームが行われた感じだなと思った。


守りの機能はそのままに、ただ、どのように守るかに変化。


愛と希望と、喜びと。

そういうもので、自分の中を満たすことが、私を守る。

安心して幸せでいることが、私を守る。

そして、もう、扉は閉じていない。

扉は開いているから、誰でも、噴水の泉を飲むことも、触ることもできる。


(これ、多分、聖書に影響受けてるメタファーだと思う。)



いわゆる、メタファーのトランスフォーメーション(変容)が起きた模様。

チェンジともいう。


1月に受けたセッションから半年。



さて、この変容は、現実に何をもたらす?


話はここからだ。

内面の変容は準備にすぎないからね。


「そして、私が安心し、危ないことはしない、そして、扉が開き、噴き出す泉があると、次に何が起きる?」