やらなくちゃ

私は、そもそも、健康な老人レベルの体力でずうっと生きているため、他の人より、年齢での自分の衰えは感じていない。

でも、今年は、ああ、なんか体が変わってきたなあと、何回か思った。

そして、そうか、ぼちぼち、本気出していかなきゃいけないなと思った。
それから、今から?と、自分につっこんだ。


私は、夏休みの宿題は、いつでも、最後の1週間に片付けていたタイプだ。

この法則は、さまざまなことに当てはまり、だいたい何でも、ギリギリ間に合った!ということが多い。

スロースターター。

人生そのものもそうであるようで、ああ、年取ったなと感じた後に来た感情は、寂しさや不安ではなく、やらなくちゃ!の一歩手前みたいな感情だった。


何を?


私自身は、いつでも今日が最後の日でも悔いはないという感覚なので、これは不思議な感情だった。
やれたらいいことは沢山あるが、やらなくちゃいけないことは、自身が把握している限りはない。

私がやらずとも、誰かやる。
私にしかできないことなどないし、別になくていい。
私の価値は変わらない。
やり残したことがない人生はつまらない。
やりきった後が退屈そうで、私は退屈が嫌いだ。

だから、何かやり残して死ぬはず。
それは、明日はこれ食べようという小さなことかもしれないが。


だから、どこから、この、やらなくちゃ!はやってきたのだろう?と私は不思議だった。

いずれにしても、やらなくちゃ!の出所も、相当のんびりやである。


ほんで、何をやるのだろう?

知らんけど。