キュウリと椅子という現実

続きみたいな感じ。
現実は物質世界だ。

意識が影響しない、行動だけが影響する物質がそのほとんどだ。
家の冷蔵庫に入っているきゅうりの味が、心がけでは変わらないように。
椅子の色が、心がけでは変わらないように。

意識が変えることができる現実は限定的だ。

世界は変わる。
自分の創造性が強化されれば、キュウリを見た時に浮かぶ料理の数は増えるだろう。
結果、起きることや世界への満足度は変わるかもしれない。
しかし、キュウリはキュウリのままだ。


変わらないと悩む時、それが心の中の話ならば、意識や考え方、心の感じ方を変えるだけで話はすむ。


しかし、椅子の色が問題ならば、椅子を張り替えるか、椅子を買いかえるかしなければ、現実は変わらない。

そうだ、椅子を張り替えよう、は意識の変化で、そういう意味では、意識は現実に影響する。
しかし、椅子そのものに関係するのは、椅子を張り替えようと思う心ではなく、椅子を張り替えるという動作だ。


錬金術を使えでもしない限り、今、現時点で存在する椅子の色は、二次元でなく三次元では、思っただけでは変わらない。


椅子の色が問題だ、椅子の色を変えよう、赤色に変えよう、私は赤色が好きだ、明日変えよう、どのように作業しよう、よりよい空間のために椅子の色を変えよう。

その辺までが、意識の話だ。

その辺が登場した時点で、もう世界は変わっている。
自分の手で、より気に入った椅子にしようと決めた時点で、椅子の色は変えられない現実から、変えることができる現実へと変化している。


だけど、本当に現実が変わるのは、意識と現実が同じになるのは、椅子を張り替える行動をした時で、そこまでは、椅子には何ら変化は起きない。


そして、椅子の色は、どのような意識で行動したとしても、その人にとって正しい色を選び間違えさえしなければ、張り替えさえすれば変わる。


感謝しながら張り替える必要はない。
愚痴をいいながら張り替えてもいい。

大切なのは、気に入った色を、丁寧に張ることだけで、心の中は、椅子の色には影響しない。
精神性と椅子を張る作業には関係がない。

関係があるのはただ、張り替えるかどうかという行動だけだ。


物質世界である現実の中に、変えたい何かがあるならば、必須事項は意識を変えることではない。
意識が行動を邪魔する時に、それは必要があるだけで、行動しない理由は、必ずしも意識に問題がある場合だけとは限らない。

また意識に問題があっても、行動さえすれば変わる現実もたくさんある。

椅子の色のように。


椅子の色を変えたい時に、話を意識に持っていくと逆に椅子の色が変わるのは遅れてしまう。

考えればいいのは、ただ、どんな椅子が好きなのかだけで、もっというなら何色が好きかだけだ。

シンプルな話を複雑にする時、椅子の色はいつまでも変わらず、キュウリは料理されることなく冷蔵庫の中で腐る。