パターン
「終わりが嫌い」「終わりが苦手」
これは、私が2022年の秋から取り組んできた自分自身が持つパターンです。
もっというなら25年前、人との別れがうまくできずに死にかけたところから全ては始まりました。
このあたりはすでにたくさん書きました。
さまざまに明らかになるにつれ、その終わりが苦手というパターンが持つ構造は、私の人生のさまざまな場所に影響していることがわかってきました。
例えば、昨年の頭、やがて先生たちとの別れが来るのが嫌だから、もうクリーンランゲージを学ぶのをやめると私は騒ぎ、先生たちに「長生きする」と約束してもらうという顛末がありました。
それから、例えば、時計なしに、セッションを終えるタイミングがわからない。
ミーティングやワークショップを時間通りに終えられない。
そういうことが浮かび上がりました。
これには「君はどうやって終わりを知るのか?」という課題が先生から出ました。
そしてこちらについては、「手にハンドベルを持ったホビットに終わりのタイミングを教えてもらう」というメタファーが解決しました。
以降、私のワークショップやセッションは、嘘のようにピタリと時間通りに終わるようになりました。
メタファー、恐るべし。
さて、本日の午前中、私はプラクティス・グループの講師をしていました。
本日のテーマは「時間を動かす質問」を使ってパターンを探求すること。
それで例題として、「夜、延々と韓流ドラマを見続けてしまう」という私のパターンを使って、プロセスを実演しました。
そこで私は、びっくりしました。
なぜ、私が延々とドラマを見るのか?
「その直前に何が起きるか?」を辿っていったところ、登場したのは「今日が終わるのがもったいない」「今日が終わるのが嫌だ」と、一生懸命、今日を引き伸ばそうとしていた自分でした。
こんなところにまで、「終わりが嫌い」パターンは波及していた!と、私は驚きました。
今日は必ず終わるのに、それを終わらせまいとする不可能な私の望みがそこに存在していました。
そして、その不可能な望みを一生懸命に叶えようと頑張った結果、私は次の日やたらと眠いという問題を生んでいました。
自分がどの時点で「今日を終わらせない選択」をしているか選択ポイントを見つけ、数問の質問のあと、「今日をきちんと終わらせる」という別のパターンが登場しました。
そして、今日をきちんと終わらせる直前に何が起きるか?というと....
そこに新しいパターンが登場しました。
長らくの私の習慣を変える新しいパターンです。
「ブログを夜に書く」
私は、ブログを早朝に書いていることがほとんどです。習慣です。
これを夜に書けば、私は一日を終えることができる、延々と韓流ドラマを見ないと、私は言っております。
さあ、これは効果があるかどうか。
やってみないとわかりません。
ただいま夜です。
そして、ブログを夜に書く。
そうすると、何が起きる?
結果は明日以降!