ボトムアップ | 私の理解

さて。


シンボリック・モデリングのセッションはボトムアップ型のセッションです。


これが何を意味するかというと、「セッションの流れを決めるのはクライアントだ」ということです。


私は、自分のセッションにシンボリック・モデリングを利用して10年経ちます。

セッション自体はやり始めて15年になります。

全てのテーマにシンボリック・モデリングが合うわけでもないので、シンボリック・モデリング以外を使用することもあります。


他のやり方をする時と、シンボリック・モデリングを利用する時の大きな違いは、私が完全にノープランだということです。


時間が40分あるとするなら、その40分間に起きることを、完全にクライアントに委ねていることです。


なぜなら、「起きて欲しいこと(望みアウトカム)」の中味は、蓋を開けてみるまで分からず、その意味を知るのはクライアントだけだからです。


例えば、時にはその「望むアウトカム」を知ることだけが必要だったクライアントもいました。

つまり、自分が何を望んでいるかだけを知ることが、そのクライアントには必要でした。


そのセッションで私が使用した質問は、わずか5種類。


そしてクライアントが、自分が自分の「未来への望み」を知るのを邪魔していたのは「望みとは大きなことを願うこと」という自分自身の価値観だということに気づいたのは、40分後のことでした。


望みだけを知って、そのセッションは終わりました。

クライアントはとても満足そうな顔で「あとは自分でできる」と言いました。


その人に必要なサポートは、望みを知るサポートだけだったのです。



シンボリック・モデリングのセッションでは、私が何をサポートすればいいかを決めるのすらクライアントです。


現実の人生の中で、こんなに何から何までクライアントが自分の好きにしていい自由は、実際、そんなにありません。


私がシンボリック・モデリングが好きな理由のひとつは、それがボトムアップ型なために、時間をどう使うかをクライアントが自分で決めていいことです。

果てしない自由を提供できることです。



その自由の感覚を体験してもらうために、ファシリテーターとしての私はその時間、自分の思考から自由を手放します。

誰かに自由を提供するために、私の思考の自由を、ほんの少しの時間、手放します。

そして、推測できうる限り、頭をくるくる動かして、誰かの望みと世界のルールにピタリとハマる質問を探し続けます。



この作業を、デイビッド・グローブもそう言ったそうですが、私も、クリーンランゲージを使うシンボリック・モデリングに同じことを感じます。


これはまるでゲーム。

(ファシリテーターがする作業は)


毎回ルールを知らない新しいゲームに取り組むときと同じくらい、頭を使います。

そして、ゲームとここも似ていますが、自分自身の感情が動いたとき、全体像がよくわからなくなります。

感覚や直感は必要です。


ファシリテーターの体の使い方は、セッションのクオリティに関係するだろうと思います。

そういう意味で、


私が飽きなかった最大の理由は、これがボトム・アップ型の技法だったからかもしれません。


自分が決めたルールではないルールに、どこまで自分がついていけるかに、私は毎回ときめいているのだと思います。

どこまで自分が柔軟で寛容でいられるか、自分の脳の可能性を広げていくことに、ときめき続けてきたのだと思います。


それが、誰かをサポートするから。