減らす・・・すると。:PRO-レメディ-
シンボリック・モデリングを使うとき、質問に対して、クライアントが返答したことに、ファシリテーターは何を質問しても構いません。
そこに決まりはございません。
さて本題。
望みについては語っているけれど。
先に書くと、レメディに対して、こう質問するといいでしょうというガイドラインの質問はあります。それから、レメディは発展させないという基本的なガイドラインもあります。
(状況によっては、クライアントがレメディを必要としている場合、それを先に発展させることもあります。
私も当初は気づかなかったのですが、「なんかおかしいよな・・・」「なぜ、このメタファー・ランドスケープはずっとぼんやりしたままのだろう?」「なぜ、ちっとも話が展開していかないのだろう?」というような数々のファシリテーター体験を経て気づきました。
けれど、「自分は他人のことをよく理解できる」「人と人は理解し合える」と思っている人は、もしかしたら、相当にショックな事実をそこに見ることになるかもしれません。
ファシリテーターは、非常に微妙な言葉尻に耳を澄ましています。
もう、細かく、細かく。
クライアントが発言する言葉の意味は文脈的に整合性があるかどうかくらいしか考えませんが、表現の細かいところには、ものすごく注意を向けています。
この人は、レメディでもなければ、アウトカムでもないことを話していたわけです。
他人事のように書いてますが、私ですね、私。
これは面白いことになってまいりました!
この続きは、そのうち、おそらく、別の話として登場する・・・かもしれないし、しないかもしれないし。
そこに決まりはございません。
何を質問しても構わないのですが、「効果がある可能性が高い質問」というのはあります。
そして、全て、自分がする質問に対しては、意識的に(意図をしっかり持って)問いかける練習は必要です。
何となく、では、質問しない。
そして、全て、自分がする質問に対しては、意識的に(意図をしっかり持って)問いかける練習は必要です。
何となく、では、質問しない。
(余談ですが、しかしまあ、そうは言いましても、現実として、「私、今、何をやっていたのかしら?というくらい、さっぱり自分が何をしたか覚えていないセッションも実際にはありますけれども。
これは、経験値は関係なくあるようです。
感覚的な例えになりますが、なんだか不思議な空間に入りこんでいたみたいに、何が何やらさっぱり覚えていないこともあります。
言葉じゃない部分で、自分も物を考えていたかのように。)
そして、けれど、クライアントがまた、こちらの意図とは全然関係ない返答をそこに対してすることは、日常茶飯事です。
例えば、「そして、その椅子はどこにありますか?」と、椅子の場所を問いかけたら、「そうですねえ。青い椅子なんです」とクライアントが答えることは、まあ、珍しくもなんともありません。
例えば、「そして、その椅子はどこにありますか?」と、椅子の場所を問いかけたら、「そうですねえ。青い椅子なんです」とクライアントが答えることは、まあ、珍しくもなんともありません。
そうしたら、「そして、その青い椅子のとき、椅子の その青さ(青い)について、他に何かありますか?」と問いかけるかなんかすると、「その椅子は、空の中にあるんです」という答えが返ってきたりすることも、まあ、珍しくもなんともありません。
「空」という言葉が浮かぶのに、先に、青色が必要だったわけですね。きっと。
そのクライアントには。
「空」という言葉が浮かぶのに、先に、青色が必要だったわけですね。きっと。
そのクライアントには。
そうしたら、「そして、空の中に青い椅子があるとき、青い椅子がある その空は、どこにありますか?」と問いかけて。
そうしたら、「空は、胸の中に広がっています」という答えが返ってきたりする。
こちらも、珍しくありません。
そうしたら、「空は、胸の中に広がっています」という答えが返ってきたりする。
こちらも、珍しくありません。
物事を発想しやすい順番というのは、人によって異なりますので、「場所を聞いたのに色が返ってきた!」と焦る必要は全くありません。
そうしたら、問いかけたらいいだけで。
「そして、あなたの胸の中に空があるとき、その青い椅子は 空のどこに ありますか?」
そうしたら、問いかけたらいいだけで。
「そして、あなたの胸の中に空があるとき、その青い椅子は 空のどこに ありますか?」
そんな感じ。
これは、認知言語学者の人たちによれば、日本語を使って認知するときの特徴らしいのですが、日本語では、広い方から狭い方へと、認知が進むことが多いようです。
だから、もしかしたら、この場合、椅子→空、ではなく、空→椅子の方が、場所が把握しやすかったのかもしれません。
さて本題。
つまり、「減らしたい、そして。」の最後に書いた質問についてです。
私なら、そこに、どう問いかけるかな?という答え。
くどいようですが、クライアントにとって効果があるかないか、は別として、ファシリテーターは、何を問いかけたって構いませんので、これには正解も不正解もありません。
私なら、そこに、どう問いかけるかな?という答え。
くどいようですが、クライアントにとって効果があるかないか、は別として、ファシリテーターは、何を問いかけたって構いませんので、これには正解も不正解もありません。
だいたい、正解、不正解は、クライアントにしか決められません。
そして、クライアントも、問いかけられるまで、「自分にとって」その質問がヒットするかどうかを知りません。
これが効果あるんじゃないかしら?という質問を選んで、ともかく、問いかけてみるしかありません。
というわけで、私に今、はっきりわかっているのは、このクライアントは、レメディを話しているねえ・・・ということだけ。つまり、望んでいるアウトカムは、まだ登場していないねえ・・・ということくらい。
望みについては語っているけれど。
その望みには、問題とセットになっています。
問題ありきの望み。
これはレメディ。
先に書くと、レメディに対して、こう質問するといいでしょうというガイドラインの質問はあります。それから、レメディは発展させないという基本的なガイドラインもあります。
(状況によっては、クライアントがレメディを必要としている場合、それを先に発展させることもあります。
発展させて、それから、望んでいるアウトカムに誘います。
原則的には、レメディは発展させない、ということ。シンボリック・モデリングに、これ「絶対こうします!」というルールは、ほとんどありません。最初は、ガイドラインに沿って練習はしますが・・・)
ガイドライン上、PROモデルのレメディへの質問は・・・
「そして、〇〇すると、何が起きますか?」
この場合、クライアントは、「物を減らしたい」と言っていますので、こんな感じ。
「そして、あなたが物を減らすと、何が起きますか?」
こちら、言い回しは色々ございまして、
「そして、あなたが物を減らす すると、何が起きますか?」
「そして、あなたが物を減らすとき、それから何が起きますか?」
「そして、あなたが物を減らす、その後、何が起きますか?」
「そして、あなたが物を減らす、すると、次に何が起きますか?」
原文は、"And when..., then what happens?"です。
時間を先に進めています。
大事なポイントはそこ。
この質問は、時間を動かす質問、です。
さて、ここで、日本語登場。
(1)クライアントが「減らしたいんですよね」と答えたら。
私の最初の質問は、「そして、減らしたいとき、その減らしたいについて他に何かありますか?」の可能性が高かろうと推測します。
「もう少し詳しく聞かせてください」の、代わりに。
(2)そして、「物を減らしたい」とクライアントが答えたら。
「そして、物を減らしたいとき、減らしたい その物はどんな物ですか?」または、さっきと同じく、「そして、物を減らしたいとき、物を減らしたいについて 他に何かありますか?」
この時、私の脳裏にあるのは、「おそらくは、クライアントが、物を減らしたいのだろうけど、ちょっと聞いてみないとわからないな」です。
(1)(2)の共通事項は、話の文脈からいくと、「クライアントが」減らしたいのだろうと推測はできますが、これは確実ではありません。
少し、内容を確認することで、「そのほうがいいよって、友達と話してたんですよね」というような発言が登場したりすることは、非常に頻繁に、もう珍しくも何ともなく、あります。
少し、内容を確認することで、「そのほうがいいよって、友達と話してたんですよね」というような発言が登場したりすることは、非常に頻繁に、もう珍しくも何ともなく、あります。
ただのおしゃべりなら、何ら問題ありませんが、今、ここで、シンボリック・モデリングで取り扱うのは、「その人自身」の望みや問題その他諸々です。
友達との会話を扱うのは、ちょっと時間がもったいない。
そして、クライアント、ファシリテーター共が日本語話者の場合、これもしょっちゅうありますが、クライアントは、自分のことでないことを自分のことのように話すことができます。そして、こちらは、クライアントが自分のことを話していると違和感なく信じることができます。
だって、「セッションって、クライアントが自分のことを話すそういう時間でしょ?」という、ファシリテーターが持つ前提と常識のために。
私も当初は気づかなかったのですが、「なんかおかしいよな・・・」「なぜ、このメタファー・ランドスケープはずっとぼんやりしたままのだろう?」「なぜ、ちっとも話が展開していかないのだろう?」というような数々のファシリテーター体験を経て気づきました。
クライアントは、自分の望みでないものを、自分の望みだと信じて語ることがあるというそのことに。そして、日本語は、それに非常に適している言語だということに。
主語を口にしない限りは、本人も、それに気づいていないことが多々あることも。
そのことに気づいた後、私は、「普段どうやって、自分は人の話を理解しているのだろう?」と謎に包まれました。
そもそも、私は「人の心はわからない」と思っていますので、あまりショックは受けませんでした。
そもそも、私は「人の心はわからない」と思っていますので、あまりショックは受けませんでした。
けれど、「自分は他人のことをよく理解できる」「人と人は理解し合える」と思っている人は、もしかしたら、相当にショックな事実をそこに見ることになるかもしれません。
けれど「理解できなくても共に平和的に共存して、必要であれば、助け合って生きていける」という事実を見ることはできます。
折り合いがつく瞬間を見ることもできます。
私は、こちらの方が、現実的かなと思います。
さて、(1)(2)の質問で、おそらくは、この後の(3)(4)的なクライアントの発言が現れることが多いかもしれません。
(3)「私は、家の中の物を減らしたい」と答えたら。
「そして、あなたが家の中の物を減らしたいとき、あなたが家の中の物を減らすと、何が起きますか?」
「そして、あなたが家の中の物を減らしたいとき、あなたが家の中の物を減らすと、何が起きますか?」
これは、PROモデルというモデルの中で使用するレメディに対しての定型の質問です。
言い回しには、いくつかあります。
言い回しには、いくつかあります。
「そして、・・・・すると、何が起きますか?」
「そして、・・・・のとき、それから何が起きますか?」
「そして、・・・・のとき、その後、何が起きますか?」
「そして、・・・・すると、次に何が起きますか?」
原文は、And when...., then what happens?
何を意図した質問かというと、時間を進めています。
何を意図した質問かというと、時間を進めています。
(4)そして、もしも、「この年末年始、ゴミ屋敷の掃除に明け暮れていました。作ったゴミ袋は50個です。以前は、ゴミ屋敷ではありませんでした。長きにわたる介護がそこに存在し、そして、ゴミ屋敷と化しました。大量の物を片付ける作業で、非常に疲れたんです。だから、減らしたいなと思っています。」とクライアントが答えたら?
おそらくは、こういう(4)みたいなパターンが最も多いのではないかと思います。
そして、このパターン、そうですねえ、何から始めましょうかねえ・・・。
私だったら、まず、ゴミ屋敷と大きな文字でノートに書き留めます。
クライアントは一つの文章の中で、同じ単語を3回も言っていますのでね、これは重要な言葉だろうなあと、推測します。
クライアントは一つの文章の中で、同じ単語を3回も言っていますのでね、これは重要な言葉だろうなあと、推測します。
今は使わないけれど。
そして、質問ですが、「そして、ゴミ屋敷の掃除、大量の物を片付ける作業、そして、疲れ。そして、減らしたい。そして、あなたが疲れて、そして、減らしたいとき、あなたは何が起きればいいのでしょう?」ではないかなと思います。
そして、質問ですが、「そして、ゴミ屋敷の掃除、大量の物を片付ける作業、そして、疲れ。そして、減らしたい。そして、あなたが疲れて、そして、減らしたいとき、あなたは何が起きればいいのでしょう?」ではないかなと思います。
レメディではなく、プロブレムにする質問をします。
これ、前の3つと、クライアントの発言が微妙に違うのに気づきましたか?
「減らしたい」と「減らしたいと思っています」は、微妙にニュアンスが違います。
どちらもレメディであることには変わりないんですが、「〜したい」と言い切るより、「〜したいと思っています」はやや弱くなります。
そして、この人は、過去に物を減らす作業で疲れた経験があるわけで、そうすると、今から減らすときに、「減らす作業でこの人は疲れる」と、文脈的には暗に示されていると、私は、判断します。
加えて、「思っています」がついている。
やろうとは、していません。
ファシリテーターは、非常に微妙な言葉尻に耳を澄ましています。
もう、細かく、細かく。
クライアントが発言する言葉の意味は文脈的に整合性があるかどうかくらいしか考えませんが、表現の細かいところには、ものすごく注意を向けています。
・・・・・・
そして、ここからは、レメディのポイントです。
「物を減らしたい」ならば、減らせばいいんですね。
けれど、「物を減らしたい」と言っている場合、「まだ」物は減らしていないんですね。
レメディのポイントの一つは、「クライアントはまだそれを試してはいない」ということです。
そして、もしも、「物を減らすこと」で何かが解決したり、まだ言葉にはなっていなくても望みが叶うのであれば、そして、「それがクライアントに可能なこと」なのであれば、クライアントは多分、それを実行しているのですね。
わざわざ、誰かに相談することもなく。
「物を減らしたい」ならば、減らせばいいんですね。
けれど、「物を減らしたい」と言っている場合、「まだ」物は減らしていないんですね。
レメディのポイントの一つは、「クライアントはまだそれを試してはいない」ということです。
そして、もしも、「物を減らすこと」で何かが解決したり、まだ言葉にはなっていなくても望みが叶うのであれば、そして、「それがクライアントに可能なこと」なのであれば、クライアントは多分、それを実行しているのですね。
わざわざ、誰かに相談することもなく。
そこがポイントです。
「まだ、それを試してはいない」
「あなたは何が起きればいいのでしょう?」と問いかける。
そして、クライアントが「私は、家の中の物を減らしたい」と答える。
そして、質問する。
そして、クライアントが「私は、家の中の物を減らしたい」と答える。
そして、質問する。
「そして、あなたが家の中の物を減らしたいとき、あなたが家の中の物を減らすと、何が起きますか?」 (3)
赤字の部分にご注目くださいね。
(1)(2)(4)では、ここの部分、「減らしたい」のままになっています。
この場合だけ、「減らしたい」から「〜したい」という表現を抜いています。
つまり、これ、何をやっているかと言いますと、「減らしたい」と望んでいる状態から、もう減らした後へと、時間を動かしています。
この場合だけ、「減らしたい」から「〜したい」という表現を抜いています。
つまり、これ、何をやっているかと言いますと、「減らしたい」と望んでいる状態から、もう減らした後へと、時間を動かしています。
「その望みが叶った後の状態」へと。
そこで、何が起きるかを確認するために。
何が起きるか?ですか。
それは、聞いてみないとわかりません。
おそらくは、クライアントも知りません。
つまり、クライアントが知らないことを、ファシリテーターという他人が知っているわけがありません。
推測のしようもありません。
だって、試してないんだもの。
それは、聞いてみないとわかりません。
おそらくは、クライアントも知りません。
つまり、クライアントが知らないことを、ファシリテーターという他人が知っているわけがありません。
推測のしようもありません。
だって、試してないんだもの。
そして、多くの場合、そこには、大事な何かが隠れています。
それは、クライアントが本当に望むもの、です。そこに、辿り着きたい。
・・・・・・
・・・・・・
さて、ここで。
私個人の話に戻しまして。
さすがに、そうですね、物を減らしましょうね!と昨日、私は、せっせとゴミを捨てました。
私個人の話に戻しまして。
さすがに、そうですね、物を減らしましょうね!と昨日、私は、せっせとゴミを捨てました。
そうしたら起きたこと。
何にも!
何にも!
何にも変わったことは起きませんでした。
私には。
さあ、ここからが面白い!
この人は、レメディでもなければ、アウトカムでもないことを話していたわけです。
他人事のように書いてますが、私ですね、私。
これは面白いことになってまいりました!
もしも、これがセッションだったらね!
腕の見せ所!
腕の見せ所!
クライアントは、そこに気づくかどうか。
さあ、どうでしょう。
でも、セッションではないので、私の話はひとまず、これで終わり。
さあ、どうでしょう。
でも、セッションではないので、私の話はひとまず、これで終わり。
この続きは、そのうち、おそらく、別の話として登場する・・・かもしれないし、しないかもしれないし。